横浜にアフリカ絵本展を見に行く

短い夏休みの締めくくりに横浜に1泊して、夕べは中華街の景珍楼で夕食。今日はJICA横浜に村田はるせさん所蔵の「アフリカ絵本展」を見に行った。アフリカ文学者である村田さんが訳されたコートジボワールのヴェロニク・タジョの「アヤンダ」がとりわけ目を引いた。地元の子供たちが手に取る絵本、ということはタジョのこの作品はまさにアフリカ人の読者に届いているわけだ。絵本を通してアフリカを想像する。Uも興味をもったようでじっくり読んでいた。展示会は8月31日まで。横浜に行く人はぜひ! https://www.jica.go.jp/yokohama/event/2019/190824_1.html

酷暑の新宿、八雲 木版画展

昼すぎに自宅を出て中央線で新宿へ。ヒルトン東京ヒルトピア・アートスクエアで八雲 木版画展「ストーリーズピューパ」を観る。シックでかわいい作品がならび、いろいろな文学に寄り添えるようなしっかりしたファンタジーの表出があって、とてもよかった。「じたばたする亀」に思わず高校生のころの姿を思い出して噴き出した(すみません)。挿絵画家としても活動を始めているようですが、がんばってください。隣で開催されていた、山口健児展、モノクロで闇から浮上する広い光、ざらっとした木目の肌触り、「Shim」がすばらしかった。新宿駅へ戻り、ユニクロでTシャツを何枚か買って3時ごろ東口の電光掲示板を仰ぐと38℃であった。4時に喫茶店以文社のO氏と打ち合わせ。8月に入ってミシェル・セールを読み始めた。

フォークナー・メモ2

昨年は体調を崩し中止せざるを得なかった平湯キャンプだが、今年は8月5日から無事に3泊のテント暮らしを楽しむことができた。読書とハイキングと焚火と温泉。至福のひとときであった。フォークナーの 『町』(冨山房、フォークナー全集21、速川浩訳)をほぼ読了した。

スノープス第2巻『町』。相変わらずフォークナーは事実の直裁な報告をしないのだった。事実そのものよりも事実が人々に与える心理的波紋を書くことが作家の関心事であり、また、語りが複数化しそれぞれのアスペクトから断片的に遂行される結果、物語全体は不透明な迂回に満ち、そこに語られる事件の核心部の理解は、読者にとって常に遅延される。そうしたわかりにくい語りの束から、根気強い読者は、『村』に続く近代化の波のなかで変貌してゆく20世紀前半(1909~1927年頃か)の合衆国南部社会へと案内される。(『村』における重要な記号である「馬」は『町』では「自動車」にとって代わる。)

チャールズ・マリソン、ギャヴィン・スティーブンス、V.K.ラットリフという3人の語りの交替のうちに進行する物語には、フレンチマンズ・ベンドからジェファソンへ、村から町へ流れてきた、南部にとっての「よそ者」フレム・スノープスが銀行頭取へとのし上がる経緯が描かれる。妻ユーラ・スノープスの不義と私生児リンダ・スノープスの悲劇。

しかし物語の進行において、フレム、ユーラ、リンダがドミナントな語りの主導権を握ることはない。作品の終わり近くでようやく出現するユーラの声はそれゆえ切迫感に満ちている。

リンダの悲劇の核心部に、彼女を愛したギャヴィンは遅れて気づく。「彼女はうんざりしたんだ。彼女は愛した、愛し愛され、愛を与え受ける資格があった。彼女は二度まで試みて二度まで失敗した、その愛に値し、愛を自ら求め、匹敵できるばかりではなく、それを受け容れるだけの勇敢さのある誰かを見いだすのに失敗した。そうなのだ。」(p.288)

フォークナーの語りはつねに間接的である。事件をその発生と同時的に当事者の語りによって報告することがない。つねに遅れてくる語りは、その間接性と複数性によって、土地の語り、チャールズ・マリソンが言うように「ぼくたち=町」(p.275)の語りとなる。

ヨクナパトーファという息苦しい南部の架空の閉鎖空間を描くフォークナーの世界。だがそこには、かすかな逃走線が書き込まれている。『アブサロム…』において燃え落ちるサトペン邸から脱出する混血の障がい児ジム・ボンド。『町』においてグリニッジ・ビレッジへ旅立つ私生児リンダ。そうした外部に通じる逃走線に目を凝らしたい。

荒正人は解説でおもしろいことを述べている。フォークナーを第一次大戦後の前衛的作家と比べて限界を指摘して、「強いて特色をあげれば、ヨクナパトーファの設定だけである。それは余りに地方的である。地方的であることは少しもかまわぬが、普遍的要素の脱落した地方的文学は困りものである。いや、フォークナーは、地方的であることに留まる自信を失って、国民的ないし世界的になろうとして動揺した。その点が最も弱点である。」(p.319) フォークナーと共振して『フォークナー・ミシシッピ』を書いたグリッサンもまた、カリブ海についてのディスクールから独自の世界論へと向かっていった。荒のこの批評はグリッサンにもあてはまるかもしれないなとふと思う。とはいえぼくは、まだまだグリッサンの世界論とつき合うだろう。そこに見えてくる風景に関心があるからだ。ギャバンへの戒めのように、あまり期待しすぎることなく、ただ生き、行動すればよいのだ。

フォークナー・メモ1は2012年3月だった。次のフォークナー・メモはいつになることやら。

ジャズ・フルート考

3月にグラーフのことを書いたが、そういえばジャズでもフルートを使うよな、と気になり出して、ここ3ヵ月間ほどジャズ・フルートばかり聴いて暮らした。

フルートは大体サックス奏者の持ち替え楽器であるが、ジャズ・フルーティストとして真っ先に脳裏に浮かぶのはヒューバート・ロウズ。ヒューバート・ロウズといえば70年代初頭のCTIレーベルだが、正直CTIはぼくにとってはBGMの域を出ない。70年代前半のMorning Star, Carnegie Hall, The Chicago Themeあたりを聴き直してみたが印象はあまり変わらない。クラシックも吹き込んでいるが面白くない。一番印象に残っているのは、91年頃出たジェシー・ノーマンキャスリーン・バトルがクラシック・アレンジのオーケストラとコーラスをバックに黒人霊歌を歌う『わが心のスピリチュアル』というLDのなかで、キャスリーン、ハープのナンシー・アレンと3人で演奏した「天上から音楽が/幼きダビデ」。冴え冴えとしたフルートのイントロとキャスリーン・バトルに控えめに寄り添うオブリガート。ああ、音楽は天上からエーテルのごとく降り注ぐのであった。

70年代前半あたりだとボビー・ハンフリーのBlack and Bluesがファンキーで個人的には好きである。彼女の音楽は、なぜか雪の日のドライブによく合う。

でもきっとハービー・マンのほうが面白いんじゃない? オムニバス盤で振り返ってみた。ヒューバート・ロウズほどテクニックはないが(ビル・エバンスと吹き込んだアルバムがあるのだが未聴。聴いてみたい)、アフロ・キューバン、アフリカ、ブラジル、とにかくあらゆるエスニック音楽に関心を寄せたハービー・マンの音楽は全‐世界音楽の前兆を示す雑多なエネルギーに満ちている。69年の大ヒットMenphis Undergroundのゆったりしたグルーブが心地よい。

もう少しジャズっぽいフルートはといえば、ジェレミー・スタイグ。同じく69年吹き込みのビル・エバンスとのWhat's New。以前にも書いたが、あまり得意ではないビル・エバンスのアルバムで一番好きなのがこれ。一曲目のStraight No Chaserからエンジン全開。ブレス・ノイズを音楽の一部にするジェレミーのアグレッシブなプレイに煽られてエバンスもガンガン行く。

だがやはりベストはエリック・ドルフィーだろう。ドルフィーバスクラを聴くと、この楽器を彼以上に操れる人間はいないだろうといつも思うが、フルートも凄い。なんといってもベルリンで客死する1964年に吹き込んだ遺作Last DateのYou Don't Know What Love Is。この曲の究極の名演と言えよう。抽象的な鳥たちが舞い、さえずり、虚空へ消えてゆく。

おっと、忘れちゃいけない大好きなローランド・カーク。サックス、マンセロ、笛やサイレンを身体中にぶら下げてそれを次から次へと手探りで手繰り寄せ、くわえ、ときには2本、3本(!)を一緒に鳴らすこの盲目の天才リード奏者はおそらく怪物のような肺活量の持ち主なのだろう。ものすごい息の量を吹き込んで強引に鳴らすフルートの野太い音。62 年の名作Dominoのタイトル曲のテーマをカークはフルートで吹く。切々としたマイナー・ワルツである。人生は切ない。

ドルフィー、カークと来たらもう一人ユゼフ・ラティーフを挙げなければならないだろう。コルトレーンが仰ぎ見たこのマルチ・リード奏者は30才頃にイスラムに改宗し、2013年に93才の人生を閉じた。彼はなんとオーボエをジャズに使った数少ないミュージシャンである(オーボエって値段の高い楽器です)。61年に吹き込んだアルバムEastern SoundsのBlues For The Orientではオーボエのブルース演奏が聴ける。アルバムは全体的にやや大人しすぎる感もあるが。ラティフの持ち味はスローからミディアム・テンポでメロディをゆったり歌うところにあるように思われる。たとえばドビュッシーをイントロに引用したYesterdaysのフルートのこの演奏がすばらしい。https://www.youtube.com/watch?v=d4Wqd-b0FRM

おまけにもう一人。ベルギー生まれのボビー・ジャスパー。僕はウィントン・ケリーの名盤、Kelly Blue(59年)での演奏しか知らないが、ネットでこれを見つけた。It could happen to you。かなり古い映像で画質も悪いが、目も覚めるような鮮やかなハードバップのアドリブが聴ける。

https://www.youtube.com/watch?v=XXdrKeqzXso

 

 

 

 

 

 

カメル・ダーウド、もうひとつの『異邦人』ムルソー再捜査(鵜戸聡訳、水声社)

『異邦人』において、ムルソーに殺害された名もなきアラブ人。その弟が、アルジェリアの酒場で夜毎、フランス人大学教授とおぼしき人物を相手にカミュのテクストに異議申し立てをおこなう。カミュを「君の殺人作家」と呼び、「退屈し、孤独で、自分自身の足跡に関心を寄せ、堂々巡りし、アラブ人たちの死体を踏みにじりながら世界の意味を探している君の主人公」とムルソーを名指しし、「〈アラブ〉、僕は自分がアラブだと感じたことは一度もないんだよ。ちょうど黒人性(ネグリチュード)が白人の眼差しによってしか存在しないようにね。」と語る(p.86-87)。語られる対象の主体性不全への抗議というポストコロニアル文学の鮮やかな逆襲劇である。「今日、マーはまだ生きている」という冒頭の一節から始まって細部にわたり周到にカミュのテクストを反転させてゆくパロディないし鏡状構造は、アラブ人による『異邦人』の書き直しを目論む。ダーウドはカミュのように宗教(導師イマームの権威)と既成道徳(母の権威)への反抗を、濃密なモノローグのディスクールとして差し出すのだ。本作は単なる対抗言説ではなく、ひとつの抵抗文学である。このテクストが訳された今、もはや2冊の『異邦人』を続けて読むしかないだろう。それは文学の世界性を理解するひとつの道しるべとなるだろう。原作はKamel Daoud, Meursault, contre-enquête, Actes Sud, 2014。鵜戸さんの解説によると、本書はデフォーの『ロビンソン・クルーソー』の影響下で書かれたとあり、作者のインタヴュー記事が引用されているが、そこでダーウドは次のように語る。「島の空間が私の興味を引くのは、ひきこもりの空間としてではなく、世界の意味を再構築することのメタファーとしてなのです。」いい言葉だ。

 

ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』(松井裕史訳、作品社)を読む

松井裕史訳、ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』を読了。ついにフランス語圏カリブ海文学の古典が日本語で読めるようになったわけだ。名訳だと思う。作品の魅力は、描き出されるマルティニクのサトウキビ労働者の生活世界の鮮やかさに加えて、ゾベルのユーモアあふれる観察眼の鋭さや叙情的な想像力の豊かさにも拠るところが大きいーーたとえば、ザリガニの世界(p.70)、フルートの音(p.155)。日曜日のお祭りのシュヴァルボワ(回転木馬)の魅力...。サトウキビ畑の世界から奨学金を得て脱出するジョゼ少年。彼は忌まわしき支配者フランスの文学に接近することで、脱出の切符を手にするのだ。リセ・シェルシェールに入学して出会った裕福な友人ビュシがそのきっかけを与えてくれた。「読書が好きになって、長続きするようになったのはクリスチャン・ビュシのおかげだった。両親がビュシに本を買って、ビュシがそれを全部貸してくれたのだ。そのときから世の中は、手で触れられる限界の外にまで広がった。」(p.194) そして学ぶにつれて、身を粉にして自分を育ててくれた祖母マン・ティヌの貧しさの理不尽さに気づいていく。「でもなぜだろう。どうしていい家に住めず、破れていない服を着られず、パンも肉も食べられず、僕の首の周りにまきついて喉をしめつける悲しい言葉をいつも延々とつぶやくのをやめないんだろう。」(p.197)ここにこそマルティニクという土地の文学の立ち上がりがある。マン・ティヌの死にうなだれるジョゼは、語ろうと思う。「それは、目や耳をふさぐ人たちに向け、声を大にして言わなければならない話だ。」そう、『レザルド川』は同じエンディングを反復していたのだった。

1915年に生まれ2006年に亡くなったゾベルがこの作品を発表したのが1950年。ユーザン・パルシーがこの小説をもとに『マルティニクの少年』を発表したのが1983年。久しぶりに見たくなって昔ダビングしてもらったVHSを探すが見当たらない。引っ越したときにどっかにやっちゃったのかなあ。ゾベルは何を持ってたっけ。本棚を探すとDiab'laとLes mains pleines d'oiseuxがあった。たしか10年ほど前にマルティニクの本屋で買ったものだ。次はこれを読もうかなと思ったが、その前にジョゼの友達カルメンが気に入っていたルネ・マランのバトゥアラにしようかな。松井氏の解説を読むと、リチャード・ライトも読まなくちゃな。 

 

 

ダヴィッド・ジョップ詩集(中村隆之編訳、夜光社)を読む

詩(ポエジー)の振る舞いは多様だ。マラルメのように言葉自体への問いを前景化させる哲学的省察となることがある。ブルーズのように一人称をとりながら間主体的に民衆の生活を表出する歌となることがある。アフリカ人を両親にもち33才で早世したダヴィッド・ジョップの詩文は、文学として陰影豊かに躍動して読み手にストレートに届く(たとえば「すべてを失った者…」「欺く連中」)植民地支配への宣戦布告である。サンゴールが編纂した『ニグロ・マダガスカル新詩華集』(1948)に収められた5編に、唯一の詩集『杵つき』(1956)を収める。表紙のイラストがとてもよい。散文では「国民詩論争への寄与」がとりわけ興味深い。「詩とは、感受可能なものと知的把握可能なものとが調和的に融合したのであり、音と意味の組み合わせ、イメージ、リズムを通じて、詩人と彼を取り囲む世界との内的な結合を実現する能力である...詩は、生活の自然言語であるのだから、詩が現実と接触するかぎりにおいて湧き上がるのであり、刷新されるのである。詩は束縛や命令のもとでは死んでしまう。」(p.47)詩は民族(国民)のアイデンティティを支える役目を担うことがある。そのとき詩の振る舞いはどのようなかたちをとるべきか。ダヴィッドは「国民的性質」を特定の形式の使用に限定してしまうことを戒める。それは「国民的なもの」を無変化なもののように捉えてしまうことになりかねないからだ。このあたりはアラゴンを批判するセゼールの立場に与するダヴィッドの詩学の柔軟性がうかがえると思う。アフリカの詩人とは「みずからが抱えるあらゆる矛盾と未来への信念をもってアフリカの存在を肯定することで…われわれの国民的諸文化のルネッサンスに寄与する」者であり、詩とは「世界について省察し、アフリカの記憶を保持すること」である。ミアノの詩学の底流のひとつがここにあるだろう。

丁寧な解説と豊富な図版資料のついたすばらしい本である。それにしても、サンゴールの『ニグロ・マダガスカル…』の邦訳が望まれる。