サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』1~匂いのない読書

管啓次郎研究室主催、長編文学輪読会はインド亜大陸に上陸し、ポストコロニアル文学圏に接近してきた。作者サルマン・ラシュディはボンベイ生まれのイギリス系アメリカ人。2022年の作家刺傷事件は記憶に新しい。インドについて皆目無知である自分は、インド…

トーマス・マン『魔の山』(下)――華麗なるディスクールの饗宴

下巻に入って「キリスト教的共産主義」ナフタと、「共和主義的資本主義者」セテンブリーニとの激しく錯乱的な批判合戦が展開するのだが、417頁に新たなディスクールの担い手がサナトリウムに登場する。メインへール・ペーペルコルンという、ジャヴァでコーヒ…

八方尾根スキー

無性に八方尾根に行きたくなった。スキー場から雪を頂く唐松岳を見たくなったのだ。白馬に宿を取り、新しい板を買った。金曜日、午前中の授業を終えて午後休暇を取り、出発。クラブ活動で忙しいUは今回は付き合えず、30年ぶりの単独スキーである。ボロディン…

トーマス・マン『魔の山』(上)――華麗なるディスクールの饗宴

管啓次郎研究室主催長編文学読書会はトルストイのあとドイツ語圏に飛んだ(もうちょっとロシアの大地にとどまりたい気もしたのだが…)。『魔の山』(1924年)である。大学に入ってすぐニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』とともに読んだあとの高揚感…

村野四郎記念館

暖かな土曜日。妻と妻のお母さんを連れて浅間山を散歩したあと、府中郷土の森美術館を訪れた。美術館は改装中だったが、旧府中尋常高等小学校の建物が企画展などの会場として整備されていて、その一角に偶然、村野四郎記念館を見つけた。村野四郎の詩を知っ…

渋谷毅&仲野麻紀『アマドコロ摘んだ春』

インフルエンザに罹って寝込んだ。金曜日の午後は38.5度くらいあって朦朧となり、イナビルを吸入して2日ほどで高熱は引いたが、まだ午後になると微熱が出る。布団のなかで『アマドコロ摘んだ春』を聴いた。昨年10月に伊香保にキース・ジャレットとECMの写真…

顧夢の写真展&仲野麻紀ライブ

加速度的に忙しくなってきたこの頃だが、根を詰めて一仕事片付けたおかげで自由な日曜日を手に入れた。午後、高田馬場の小さなギャラリー(Alt_Medium)で顧夢の写真展を観る。A dream of dreamsと題された作品集を頂く。封じ込められた、うつろう瞬間。モノク…

トルコ近現代詩を読む 詩人を語る

19時より、下北沢アレイホールにてトルコ近現代詩の朗読イベントに参加。会を主催されたイナン・オネルさんが東大言語情報の同期であったことを直前に思い出した。ラテナイズされたトルコ語により産声を上げた近代以降のトルコの詩人たちの系譜、精神、感情…

マリーズ・コンデ『料理と人生』(大辻都訳、左右社)

ものすごく面白かった。まるでマリーズが日本語で語っているかのような錯覚を覚える素晴らしい翻訳。文学と料理という二つの領域を追求したマリーズ・コンデ。グアドループで生まれ、アフリカ人と結婚してアフリカで暮らし、そしてその後イギリス人の伴侶と…

トルストイ『戦争と平和』6

『戦争と平和』第6巻(望月哲男訳)を読了。ついにトルストイ・セッションが終了した。フランス軍の敗走の後を物語は追うことをしない。登場人物たちのエピソード群はピエールがペテルブルグに出発するところで終了する。戦争俯瞰と個人への接近という二極…

シリル・ルティ『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家』(2022)

夕方、シネスイッチ銀座でGODARD seul le cinémaを観る。『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』などヌーベル・バーグ時代の作品しか知らない僕のような人間にはゴダールの絶好の入門だった。面白かった。ただデジタルにシフトした最晩年の作品も紹介してほし…

トルストイ『戦争と平和』5

フランスから帰る飛行機の中に『戦争と平和』第5巻を置き忘れた。旅のあいだに読了し、下線を引いたりメモを書き込んだりしていたので痛恨であった。仕方なくもう1冊買い読書会に臨んだ。 ついにナポレオン軍がモスクワに入る。戦争描写は激しくなり、ヴェ…

トルストイ『戦争と平和』4

望月哲男訳『戦争と平和』4は第3部の第1編と第2編を収める。1812年、クトゥーゾフ率いるロシアとナポレオン率いるフランスとのボロジノ会戦の様子が描かれる。戦争の物語のなかで語りの主体となるのは軍人=貴族であり、民衆ではない。したがって『戦争…

ソフトボールと積丹半島とサリンジャー

Uは高校でもソフトボールを続けている。所属するチームが石狩市で開催されるインターハイに出場することとなり、応援するために北海道に飛んだ。8月6日、石狩湾近くのグラウンドで行われた1回戦で静岡の強豪校と対戦したが、健闘むなしく敗退。練習を積んで…

シンガプーラにて

7月下旬からシンガポールに4日ほど滞在した。北緯1度、ジョホール海峡を挟んでマレー半島の南端に位置する熱帯モンスーンの小さな島に降り立つのは初めてである。埋め立てによって領土を拡張してきた東京23区ほど土地に500万人以上の人々が住む。 歴史を紐…

ティポンシュ・ライブ vol.5

今日はCON TON TON VIVOでドミニカのメレンゲなどカリブ海音楽を取り込んで日本語で歌うメリーチャン、セネガルのトラディショナル・ダンスSabarを踊りセネガルで活動する(!)日本人女性ダンサーNodokaを中心としたNodoka's Happy Sabar Friendsのダンスに…

トルストイ『戦争と平和』3

「こんな夢を見た」(73頁)で始まるフリーメイソンの会員となったピエールの日記(73頁)が面白い。漱石の『夢十夜』を思い出してしまう。トルストイは白樺派に大きな影響を与えたと言われるが、果たして漱石もこの語り口からヒントを得たのだろうか。テク…

SAINT OMER  サントメール―――ある被告

外気温38℃のなか、イオンシネマ多摩センターで妻と『サントメール』(アリス・ディオップ監督2022年)を観にいった(同じ封切なのに、渋谷と多摩市では料金がこうも違うのか…)。圧倒的であった。幼い娘を海辺で置き去りにして殺害の罪を問われるセネガル人…

トルストイ『戦争と平和』2

望月哲男訳『戦争と平和』第2巻は第1部の残りと第2部第1編~第2編を収める。史実としてはアウステルリッツの戦いから1807年のティルジットの和約までが描かれる。ナポレオンはその天才的戦略によってプロイセンとロシアを打ち負かしヨーロッパ大陸に覇権を確…

古川日出男×パトリック・オノレ 

恵比寿の日仏会館で「原作者と翻訳者 対話と朗読」と題された討論会を聴く。古川さんは僕にとっては朗読劇『銀河鉄道の夜』における戯曲作家、『天音』における詩人であって、恥ずかしながら小説家としての古川さんを知らない。この会をきっかけに『ベルカ、…

死者たちの夏2023

せんがわ劇場に3日間通い詰めた。西成彦先生を実行委員長とする、立命館大学「ジェノサイドと奴隷制」研究会と演劇ユニットLABO!による「死者たちの夏2023」である。 6月9日(金)音楽会 イディッシュ・ソング、朝鮮歌謡、南米の抵抗歌などが歌われた。不覚…

大西順子カルテット

なんと大西順子が小金井にやってくる(もっともお住まいは国立なのでお膝元といえばお膝元だが)というので妻と聴きに行った。ピアノ・トリオにラテン・パーカッションの大儀見元が加わったカルテット編成。打楽器が優勢でPAもバランスをとるのが難しいのだ…

トルストイ『戦争と平和』1

管啓次郎研究室主催、長編文学読書会は、プルースト、セルバンテス、ダンテ、ホメロスと西欧エリアを遡行して、スラブ語圏に突入した。トルストイである。この読書会がなかったらおそらく一生読むことがなかったであろう『戦争と平和』である。。トルストイ…

マイルス・デイヴィスのほうへ(10)ハービー・ハンコック工学1

1963年、マイルスはドナルド・バードのバンドからハービー・ハンコックを引き抜く。公式盤では、Seven Steps To Heaven(1963)からハービー・ハンコックはピアノを担当する。4月のLAセッションと5月のNYセッションを収録しているこのアルバムはぼくのお気に…

言葉の翼に乗って――ホメロス『オデュッセイア』(下)

新年度の雑事に忙殺されて、不覚にも読書会を失念してしまった。読書会があった日付に感想文を置くことにする。『オデュッセイア』下巻はオデユッセウスのイタケ―への帰還に焦点が絞られてゆく。息子のテレマコスとともに、妻ペネロペイアに言い寄りオデュッ…

雑誌で読み解く20世紀―――共同討議『思想』3月号

3月は注目したい雑誌二点が刊行された。ひとつは昨年亡くなったブリュノ・ラトゥールを特集した『現代思想』3月号。もうひとつは『思想』3月号で、雑誌・文化・運動--第三世界からの挑戦--と題されている。今日は後者の執筆陣が登壇する講演会に、明…

ECMの真実 ピーター・バラカン×稲岡邦彌

永らくトリオ・レコードでECMの日本盤リリースを手掛けてきた稲岡さんとピーター・バラカンさんのトークを聴きに神楽坂の赤城神社に駆け付けた。司会進行は仲野麻紀さん。それにしても赤城神社には度肝を抜かれた。なんとモダンな神社であろうか。神社に「モ…

Ayuo 色を塗られた鳥、時空を舞う

杉並公会堂小ホールは満員だった。すばらしいコンサートだった。前半は足立智美作曲、弦楽四重奏曲第42番――打楽器と声を伴う『蝶と猿とあくびする』。パヴェル・ハースに倣って、という副題がついている。浅学にしてパヴェル・ハースの音楽は聴いたことがな…

タジョ『神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅ーー記憶・証言・物語』を読む

辛い読書を終えた。ガエル・ファイユの『小さな国で』はひとつの物語であるのに対して『イマーナの影』ではルワンダのジェノサイドの犠牲となったおびただしい人々の証言がつづられている。ひとつひとつのエピソードは短いがその悲惨さは文章の長短に関係な…

原宏之『ラプサンスーチョンと島とねこ』(書肆水月)

慈しみに満ちた本を読んだ。「ひとりで居るのは嫌いだった。ふたりでもぱっとしない。家族三人がみんな揃って居るのが好きだった。三年前、不調となりその後衰えて居間ではほとんど寝ているばかりとなってからも、わたしと妻が楽しそうに団欒していると、満…