レオノーラ・ミアノ『顕れ~女神イニイエの涙~』

慌ただしい状況のなか、朝の重苦しい用事を済ませて、なんとか12時過ぎの新幹線に飛び乗って静岡へ向かう。静岡芸術劇場にて、カメルーン出身フランス在住の女性作家レオノーラ・ミアノが2015年発表したRévélation(日本語上演にして世界初演)を観る。14時開演。西洋の暦で言う16世紀以降、三角貿易に巻き込まれ、多くの奴隷をヨーロッパに売ったアフリカの歴史の闇が浮上する。ぼくはディアスポラ文学に(とりあえず)分類されるエドゥアール・グリッサンを読んできた。アメリカスのプランテーション文化圏の根源にある奴隷貿易。奴隷の子孫たちの悪戦苦闘の歴史をたどり、そこから世界の見方を教わった。しかし奴隷を売り渡した側から見ると、この問題はどのように語られるのか。ミアノはおそらく初めてアフリカの側からその闇を真正面から取り上げた作家であろう。パンフレットの元木淳子さんによれば、ミアノは「奴隷貿易に端を発する暴力と拉致の構造は、植民地時代に強化され、ポストコロニアルの現在も大陸に存続している。・・・ディアスポラの人々と同様、アフリカの民もまた奴隷貿易の子孫なのだ」と主張する。劇の最後で女神イニイエは「始まりの大陸」に覚醒を促し未来への希望を語る。その長台詞は祈りにも近い。

それにしても、宮城聰のなんと斬新な演出だろう。俳優はミュージシャンも兼ね、舞台下のオーケストラ・ピットで打楽器を演じつつ舞台を往復する。(ちょっとピーター・ブルックを思い出す。)棚川寛子の音楽はアフリカン・テイストであり繊細であり劇の運びに即興的に魔術的に寄り添っている。セリフと音楽のその精密なシンクロ具合に舌を巻いた。さすが去年の秋、パリのコリーヌ国立劇場で1か月のロングランをこなしただけのことはある。

同胞を奴隷としてヨーロッパに売り渡した「一千年のつみびとたち」、部族の長や王たちがイニイエの前に召喚され自らの罪を語る。その一人、子供を授かることのできなかった辛さゆえに女たちを異国に売った巫女オフィリスの告白が胸を打った。オフィリス役のたいきみきの演技がすばらしかった。ここがぼくにとっての悲劇のクライマックス。しかし、この劇は単なる断罪ではない。それぞれの立場の霊たちのコミュニケーションが主題である。そのあたりにぼくはポスト・グリッサン的な詩学を感じた。

宇宙的スケールで展開された大いなる輪廻転生思想劇。いくつかの言葉に励まされながら子育ての試練となった重い課題の待つ東京に戻る。