チャーリー・ヘイデンを聴く(1) チャーリー・ヘイデンのプロテスト

ここ1か月、机のまわりの整理をすすめた。山のように堆積した切り抜きや論文コピーやノートやメモの一番下までたどり着いたら、2015年まで時間を遡行した。たしか夏に環境・文学学会のパネル発表をさせてもらった年だ。日常生活で手一杯となり、意志薄弱な性格のゆえエネルギーを集中させることができなくなり、そのあたりで「研究活動」はパタリと止まっていた。

紙束の一番下の方からチャーリー・ヘイデンについてのメモやコピーが出てきた。なんでその頃チャーリーに注意が行ったのかはもう覚えていない。2014年に亡くなったベーシストへのオマージュを書こうとしていたのかもしれない。何となく彼のアルバムを何枚か聴き直した。

チャーリー・ヘイデンは哲学的なベーシストである。いや、社会派ベーシストと言うべきか。チャールズ・ミンガスのような怒りはない。ゲイリー・ピーコックのような詩的な思索が紡がれるわけでもない。ゲイリーの左手はネックの隅から隅まで自在に跳躍して引き締まった音でしなやかなラインを繰り出す一方、チャーリーはロー・ポジションにとどまり低く唸る。強く弾くので弦が指板にばちばち当たる。野暮ったいほど野太い音はしかし、つねにミュージシャンの明確な意思を表明している。そう、音楽は社会へとつながるパサージュなのだと。

何といってもLiberation Music Orchestraなのであった。じっくり聴こう。1969年にimpulseからリリースされたこのコレクティヴ・インプロヴィゼーションの傑作はフリー・ジャズの可能性を最大限に認識させてくれる。ただカーラ・ブレイとチャーリーの周到なアレンジと構造が全体を支えていることは言うまでもない。スペイン市民戦争を題材にフランコ体制にプロテストした25分を越える組曲の冒頭ではハンス・アイスラー作曲のマーチ「連合戦線の歌」がカーラのアレンジで原曲にかなり忠実に再現される。また内戦時に新しい歌詞を付けられ人民戦線で歌われた古いスペイン民謡のメロディやフラメンコ・ギター(サム・ブラウンだった!)が挿入され、さらにフレデリック・ロッシフのドキュメンタリー・フィルムMourir à Madrid(1963)のサウンド・トラック がオーバーダブされる。(この作品はyou tubeでも見られる。)スペイン市民戦争はメディアが大量に戦場に入ったことで知られるが、このフィルムにも兵士が銃弾に倒れるすさまじい実戦の様子が記録されている。国際旅団も戦闘に参加したが、アメリカからのエイブラハム・リンカーン義勇兵にチャーリーは深く共感したという。映画を観てからアルバムを聴き直すと印象がまったく違う。フリージャズだからこそ可能な叫びであることが、わかる。ミュージシャンはJCOAのそうそうたるメンバーである。ぼくはガトー・バルビエリのブロウが好きだ。フリー・ジャズと民衆歌の連帯。カーラ・ブレイのインタールードを挟んで、そのあとは1967年にボリビアで死んだチェ・ゲバラを追悼するSong For Chè。鎮痛なベースソロは慟哭を経て勝利の歌へと導かれるーーちなみにこの曲はキース・ジャレットポール・モチアン、チャーリーのトリオによるハンブルグでのライブ(Hamburg '72, ECM)バージョンもある。こちらも、キース入魂のソプラノ・サックスソロにこの曲への共感が聴きとれる名演である。Circus '68 '69は1968年の民主党大会でのベトナム政策をめぐる投票で反戦支持派が敗れた際の混乱を揶揄する音楽戯画。音楽による見事な混乱の描写と批判。アルバムはWe Shall Overcomeのプロテストで締めくくられる。

チャーリーはカーラ・ブレイとともに、このコンセプト・アルバムの続編ともいえる『戦死者たちのバラッド』The Ballad Of The Fallenを1982年ECMに吹き込んでいる。ポストモダンの浮かれ騒ぎのなかでジャズのオシャレな再消費が始まったその頃、チャーリーは、ニカラグアエルサルバドルの紛争がきっかけとなりアメリカが介入して内戦状態になった中米の状況に目を向けた。ジャケットの裏にはニカラグアの避難民収容所で暮らす少女の描いた絵があり、その絵の片隅に少女は「私たちのたったひとつの罪は、私たちが貧しいということです。レーガン大統領から送られてくる余りに多量の弾丸に私たちはもううんざりしています」と書き込んだ。ライナーにはエルサルバドルで座り込み中に政府軍の発砲で命を落とした学生のポケットから見つかったという詩の英語訳the ballad of the fallenが載っている。収録曲はどれもシンプルなメロディーラインをもっている。チリのピノチェト政権への抵抗運動歌として有名なSergio OrtegaのThe People United Will Never Be Defeatedも演奏されている。音楽は訴える。アルバムの最後のLa Santa Espinaはカタロニアの古い歌なのだそうだ。ドン・チェリーのポケット・トランペットのソロがなんだかマイルスのように聞こえた。

この2枚アルバムをじっくり聴きながら、チャーリーのミュージシャンとしての立ち位置を再確認した。