オラファー・エリアソン展

ラトゥールの小さな翻訳がひと段落した。先日のNHK日曜美術館小野正嗣さんがじつに楽しそうにオラファーの作品と戯れていた様子をみて、昼過ぎ、家族で木場の東京都現代美術館まで車で出かけた。久しぶりの遠出(!)である。氷河の後退の組み写真を見て、2001年頃カナダのコロンビア氷原アサバスカ氷河を見に行ったときのことを思い出した。温暖化の深刻さは一目瞭然である。レインボーに分光した自分の影のスペクトラムと戯れる『あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること』、黒いドームに投影された12の丸い光の無限の変容を見つめる『ときに川は橋となる』、天空の城ラピュタの飛行石を思わせる『太陽の中心への探査』。科学技術を専攻する高校生に見せたい『サステナビリティの研究室』、ミストにあてられる光の移ろいをくぐりぬける『ビューティ』、ソーラーライト「リトルサン」を使って自分で描く光のラインを楽しむ『サンライト・グラフィティ』、などなど。でも一番インパクトがあったのが、9つのパブリック・プロジェクトの記録写真。ロンドンやパリの市中に意表をついて展示されるグリーンランドの氷やベルリンの街角のあちこちに突然放置されるアイスランド海岸から運ばれた50本の流木。カタログを買い求めると、環境哲学者ティモシー・モートンとの対話「未来に歩いて入っていったら歓迎された」が掲載されていて、ティムは自らのエコロジー哲学とオラファーの作品についてこう語る。「そもそも社会空間というのは、一度だって完全に、すみずみまで人間のものだったためしはないんですね。いつだって社会空間には非人間存在たちが入り込んできていた…オラファーの仕事を見ていて本当にハッとするのは、ぼくらとは違う者たちが、ぼくらに対して影響力をもつのを可能にしている、というところです。」また長谷川祐子は解説文のなかでオラファーの仕事はブリュノ・ラトゥールの「アクター」的発想を先駆的に表現していると指摘している。その文章を読む前から、エリアソンはラトゥールに近いなあと感じていたので、やっぱりそうかとうなずいた。エリアソンと彼の工房(?)の仲間たちは、エコロジカルなシステムを構成し人間をそこに呼び寄せる。2週間もなかった夏休みが終わり今日から2学期が始まったUはクーラーの効きが悪い教室で熱中症気味で帰って来たとたんに、またもや美術館に引きずり出されて、今回もすこぶる機嫌が悪い。でも面白かったでしょ、と尋ねたら、まあまあ、この前のやつ(ボルタンスキー)の方が面白かった、だってあっちはアフリカとかいろんな問題が展示されていて、こっちは機械的だから、だそうだ。なるほど。