『フェードル』を読む/聴く

失われた時を求めて』第3巻冒頭に出てくる「私」のラ・ベルマ演ずる『フェードル』観劇のエピソードに触発され、意を決してラシーヌ再読。かつてお世話になったのは内藤濯訳だが、今回は渡辺守章訳の岩波文庫『フェードル アンドロマック』を読む。インターネット時代となって古典にアクセスする環境は昔とはくらべものにならない。原文テクストも音源も簡単にネット上で手に入る。それで今回は、渡辺訳を通読したあと、France Cutlureのためにコメディ・フランセーズが2015年にスタジオ録音したパフォーマンス(フェードル役はElsa Lepoivre)you tubeで聴きながらモニター画面で原文を追った。わからなくなると岩波文庫で確認。映像がない分文字と音声に意識が集中する。場面を想像しつつテクストを追う。(こうやって読むと戯曲って面白い。テクストはパフォーマンスにおいて立ち上がる。テクストにおいて声と抑揚がいかに重要かがわかる。戯曲は詩よりも楽譜に近い。)フランス語のいいトレーニングにもなる。Phèdre役のElsa Lepoivreは淡々とこの恐るべき情念のドラマ――というより情念の言表のドラマを演じていた。

『フェードル』も『アンドロマック』も片思いの連鎖。それにしても義理の息子に恋心を抱いただけでこれだけ悶絶するとはやはりジャンセニズムか。どちらかといえばフェードルよりアンドロマックの方が好みかな。『イリアス』で描かれたヘクトールとアンドロマックやキリコの絵を思い出す。ブリリアントな渡辺先生の訳註解説にあらわれる「言語態」のタームが懐かしかった。『繻子の靴』、圧巻でした。ご冥福をお祈りします。