マイルス・デイヴィスのほうへ(3)チック・コリアという繊細さ Ⅰ

60年代末のマイルス・デイビスの劇的な変貌期にキーボードを担当し重要な役割を果たしたのがキース・ジャレットの前任者、チック・コリアである。そのチックも今年の2月に鬼籍に入ってしまった。チックが在籍していた頃のマイルス・バンドの演奏にはキースが君臨した時代とは違った豊かなニュアンスと繊細さがあった。振り返ってみたい。 

彼がマイルス・バンドに加わったのは1968年、正規盤ではFilles De Kilimanjaroから。このアルバムは6月と9月のスタジオ・セッションで構成され、6月にはハービー・ハンコック、9月にはチック・コリアがキーボード奏者とクレジットされているが、6月に録音されたタイトル曲「キリマンジャロの娘」は何だかチックが弾いているように聞こえる。電気ピアノやオルガンではタッチの差はわかりにくいし、ハービーもチックもコード構造をベースとしてその代理コードやテンションから成る音列からフレージングを組み立てる方法をとっているので両者の判別は難しいのだが、左手のリズム音型とラテン的なフレーズのコンビネーションが実にチックっぽい。(ちなみにチックとキースの差ははっきりと聞き分けられる。キースはハービーやチックのようなヴァーティカルなシステムに依拠していないからだ。キースのインプロヴィゼーションホリゾンタルで、つねに逸脱的で、オーネット・コールマンの影響が強く、ようするに型にはまらない。)チックが弾く「マドモワゼル・マイブリー」のモチーフは、中山康樹氏が指摘するようにジミ・ヘンドリクスの「風の中のメアリー」の借用である。ちなみに同盤のジャケットはマイルス・デイビスの当時のガール・フレンドでのちに結婚しすぐ離婚したベティ・メイブリーのポートレート(あまり似ていないと思うのだが…)で、この曲は彼女を意識したもの。曲のタイトルがすべてフランス語なのはなぜ?

1968年11月のスタジオで、名曲Directionsが吹き込まれる。このときのキーボードは作曲者のジョー・ザビヌル、ハービー・ハンコックにチックという豪華絢爛の布陣である。「ディレクションズ」は1971年の末にキースが脱退するまでの3年間、マイルス・バンドのライブのオープニングを飾った。ぼくはこの曲が大好き。マイルスの演奏した最後の「カッコいいジャズのテーマ」である。

1969年2月、マイルスはIn A Silent Wayを吹き込む。オーストリア出身のジョー・ザヴィヌルがタイトル曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」を提供している。正直に告白すると、昔から1960年代後半のマイルスの音楽をあまり面白いと思ったことがない(このあたりは後でまた)。だが静謐で彼岸的な美しさをたたえたこのアルバムは別格である。ヨーロッパ山岳地帯の牧歌的なスピリットが北米東部の都市に沸騰するブラック・ジャズ・ミュージックに流入したのだった。間に差しはさまれるマイルスのIt's About That Timeは抑制の効いたファンキーなベース・ラインが知性的。ハービー、ジョー、チックの3人がキーボードを弾き分厚い響きと綿密なテクスチャーを提示している。