マイルス・デイヴィスのほうへ(8) 1972-1975 Ⅲ

マイルス・デイヴィスは次第に、身体を二つに折り、地霊を呼び覚ますがごとく、ワウワウ・トランペットの痙攣的な音を地面に向かって吐き出すようになった。ワイト島ライブの頃と比べると姿勢の変化は一目瞭然である。ベルの位置が下がり電気に頼るにつれてトランペット奏者としての技術は下降線をたどった。大体あんな吹き方では唇が壊れてしまうではないか。中学3年生のとき、ぼくはFMラジオでマイルス・デイヴィスのライブを初めて聴いた。1975年の来日公演の生中継だったと思う。カセットデッキで録音しながら気合を入れて聴き始めたが、クラシックやニュー・ミュージック(今で言うJポップ)ばかり聴いていた耳にその音楽は恐ろしい爆音ノイズの洪水でしかなく、5分くらいで耐えられなくなった。15才のぼくには残念ながら前衛に与する資質はなく、その後中山康樹氏のように「マイルス者」になることもなかった。

さてその来日公演の音源から正規盤として発表されたのがAghartaPangaea、2月1日の昼と夜の大阪ライブである。1974年の夏頃からサックスはリーブマンからソニー・フォーチュンに代わった。音楽は大洋を渡る鯨のような悠々たるグルーブとなり、モチーフやメロディは断片化してそのうねりに呑み込まれていった。途方もない音楽を名指すタイトルもまた途方もない。「アガルタ」とは神秘思想において地中にあるとされた理想世界、「パンゲア」とはウェーゲナーの大陸移動説に唱えられた原大陸。Pangaeaすなわち21日夜のステージ前半はZimbabwe(1975年当時ジンバブエは黒人ゲリラが白人政府と対立するローデシア紛争のさなかにあった)後半はGondwana(プレートテクトニクスにおいて過去に存在したとされる超大陸)とクレジットされた。それらはレコード会社による意匠であろうが、ブラック・アフリカへの連帯や空前絶後の時空の広がりをそこに想像しながら、リスナーは巨大な音楽空間に参入することになる。1975年という地点は、紛れもなくマイルス・ミュージックの臨界点だった。

マイルス・デイヴィスは常に自分の音楽を変化させてきたミュージシャンである。だが、活動休止直前のステージではわずかに過去への回帰がみられるようになる。たとえばGondwanaの終盤にあらわれる4ビートのシャッフルである。音楽のエネルギーは緩やかに減衰してゆき、マイルスはワン・コード上でブルージーなフレーズを吹く。いつしかトランペットは消え、電子音のノイズだけが闇のなかに消えてゆく...。このエンディングを聴くたびに、グリッサンの一節が心に浮かぶ。「道に迷った年老いたイグアナが、はるか昔へと時を遡り、夜に溶けていく。」(『ラマンタンの入江』205頁)。1975年9月、すべての力を使い果たした黒いイグアナは、6年間の休息に入る。