マイルス・デイヴィスのほうへ (9)アコースティック・マイルス1945-1963

昨年はずいぶん電気マイルスのことを書いたが、1975年でひと段落したあと、去年の暮れあたりからアコースティック時代のマイルスを聴き直した。古いレコードやCDを引っ張り出して音源の虫干し。ひたすら懐かしい。

ジュリアード音楽院ドロップアウトした若きトランぺッターは憧れのチャーリー・パーカーのバンドに参加する。まずは45年から48年ごろまでの演奏が記録されたサヴォイとダイアルのLPボックス・セットを25年ぶりに全部聴く。まだまだ楽器が十分に鳴らないが、ビ・バップのイディオムは十分に消化したマイルス・デイヴィス。サヴォイのBird Gets The Wormはこれがあなたかと疑うほど指が回ってる。疾走するパーカーの艶やかに湾曲するラインの輝きと、マイルスの未熟なスモーキー・トーンのコントラストの妙。

Birth Of Cool(49年)でアンサンブルと即興ソロのコンビネーションを追求したあと、Dig(51年)、Walkin'(54年)において超高速のビ・バップをクール・ダウンしてブルーノートを散りばめたファンキーでスペイシーな節回しを開拓。批評家はそれを「ハード・バップ」と呼んだ。燦然と輝く2枚のブルーノート盤BLP-1501/1502。ああ時は過ぎ行くTempus Fugit。Ray's Ideaの流れるようなテーマは、ビ・バップのもっともチャーミングなメロディ・ラインのひとつだと思う。それにしてもJJジョンソンのトロンボーンはなんであんなに正確なのか。麻薬禍を克服しつつあったマイルスの音は、みるみる抜けが良くなって、ハーマン・ミュートとハーフ・バルブの技がセクシーなマイルス・トーンが完成される。Bag's Groove(54年)収録のBut Not For Meのふたつのテイク。作曲されたかのごとき完璧なソロ! 

だがなんといってもガーランドが入ったプレスティッジ盤なのである。キース・ジャレットの次に好きなピアニストは、と聞かれれば即座にレッド・ガーランドと答える。フィリー・ジョーのドラムス、おそらくジャズ・ベーシストのなかでアルコが一番上手いポール・チェンバースとともに、しなやかなリズム隊が結成される。55年~56年の「マラソン・セッション」を聴く至福のひととき。最愛のRelaxin'。一曲目If I were a bellの冒頭。キンコンカンコンのイントロに続くテーマのあとマイルスがミュートでフィル・イン。上行スケールの頂点で微妙にベンドするA音の色っぽさ。まだまだイモのコルトレーンのごつごつしたソロに続いてガーランドの適度にブルージーで快適にバウンスするソロが来る。洗練の極み。It's so relaxing!ああ、ここにすべてがあったのだ。二曲目You Are My Everything。ガーランドは単音フレーズで愛らしいイントロを弾き出すが、すぐマイルスに制止されて"Block Cords!"と指示されると、即座にゴージャスなブロックコードでイントロを弾き直す。ジャズを聞き始めた頃、このスポンテニアスなやりとりにイチコロになった。ジャズってすごいんだなと思った。それがストックフレーズを切り替えただけだとわかるのはもう少し後のことだった。ともあれ、Relaxin'は、ぼくの「モダン・ジャズ」へのあこがれが凝縮したアルバムなのだ。

Somethin'else(58年)のAutumn Leaves。ゆったりしたテンポでズンドコドンドン、ズンドコドンドンとはじまるイントロのあとマイルスの必殺ミュートでテーマが出る。艶やかなキャノンボールのソロとのコントラストも完璧である。話はずれるが、大学生の頃、これにノックアウトされたぼくは、この速度こそハード・バップの真髄だと思いこんで同じような演奏を探し歩いた。緑色のヤマハ・タウニー(渡辺貞夫が「ヤマハ・タウニー、僕のバイク」って宣伝していたのがカッコよくて中古で買った原付)で都内を走り回ってあちこちのジャズ喫茶(80年代にはまだあった)でハードバップのレコードをリクエストしまくって見つけたのがThree SoundsのMoods(BLP4044)。高円寺の洋燈舎で「これこそハードバップですよね」とマスターに話しかけて「うーんちょっと違うけどね」と苦笑いされたのも今は昔。カツカツとドラムスのリム・ショットで始まるLove For Saleのイントロを聴くと、スピーカーに向かって教会のように並んだ洋燈舎の椅子に座ってミサに参列するようにかしこまってレコードを聴いていた頃を思い出す。

Milestones(58年)の表題曲、ビル・エヴァンスをピアノに迎えたKind Of Blue(59年)のSo Whatあたりから「モード」の風が吹いてくる。音列に基づいたソロは音数が減り、音楽はますますスペイシーになっていく。その一方で59年~60年のSketches Of Spainのようにギル・エヴァンスとのコラボで綿密なストラクチャーを持った音楽も制作される。だがこのアルバムが面白いと思うようになったのはつい最近のこと。ちなみに原曲であるアランフェス協奏曲の作曲者ロドリーゴはこのバージョンを酷評したと言う。クラシックの編曲とは全く別の次元の作品ではあるのだが。

1963年にマイルス・デイビスは新しいピアニストを雇う。ハービー・ハンコックである。以下次号。