マイルス・デイヴィスのほうへ(10)ハービー・ハンコック工学1

1963年、マイルスはドナルド・バードのバンドからハービー・ハンコックを引き抜く。公式盤では、Seven Steps To Heaven(1963)からハービー・ハンコックはピアノを担当する。4月のLAセッションと5月のNYセッションを収録しているこのアルバムはぼくのお気に入りの一枚。ハービーは5月のセッションから参加しているが、4月のセッションでは ヴィクター・フェルドマンのよれたピアノをバックにマイルスがリラックスしたリリカルなバラッドを吹く。Basin Street BluesやI Fall in Love Too Easilyが醸し出す、場末のクラブのような饐えた雰囲気。まさに百戦錬磨の古参たちの味わいである。それと対照的な5月のセッションではフレッシュなSeven Steps To HeavenやモーダルなJoshuaなど(皮肉にもこの2曲はフェルドマンの作)、新鋭ハービーとトニー・ウィリアムスの躍動感あふれるプレイでマイルスは若返る。春が来た。新しいモーターが起動したのだ。大学で工学も専攻したハービーの音楽へのアプローチは理論をしっかり意識している。たとえばコードの縛りから自由になるためにハービーはサードとセヴンスの音を弾かない方法を試みる。そうやってケーデンスから離れようとする。ふたつのセッションのコントラストにマイルス・ミュージックの鮮やかな変化が記録されている。

ハービーとトニーを迎えて若返ったマイルス・バンドの溌剌たるプレイが聴かれるのが、なんといっても1964年2月12日、NYリンカーン・センターでのライブである。この日の演奏はMy Funny ValentineFore & Moreとして分売されたが、センチメンタルなバラッドが比較的苦手な僕は、もっぱら後者ばかり聴く。いわゆる普通の(?)ジャズのフレーズを追及するマイルスのソロが聴けるのはこのアルバムあたりが最後ではないかと僕は思う。冒頭So Whatのなんと端正なフレージング、そしてきびきびしたアーティキュレーション! このコンサートは特別なものであった。スポンサーとしてバックにはNAACPがついており、収益はすべて、ミシシッピ州の黒人有権者登録を推進する運動のために寄付された。マイルスたちはノーギャラで演奏したのだ。「いいか、今晩は特別だからな、俺たちはアフロ・アメリカンの地位向上のために演奏するんだぞ!」とマイルスがメンバーに喝を入れたかどうかは知らないが、とにかく覇気あふれる演奏が続く。もっともジョージ・コールマンは、So Whatの出だしこそコルトレーンみたいな凄みがあるが、途中でネタ切れになり無意味な音階練習になってしまうのは残念。ちなみにジョージ・コールマンはホテルで練習していたらマイルスに、こんど練習したら首だ、と怒られる。マイルスはステージでスポンテニアスな即興をメンバーに求めたのだった。