濱口竜介『悪は存在しない』を観る

Bunkamuraル・シネマで妻と『悪は存在しない』を観る。ショッキングであった。心のなかに澱のようなものを抱えて映画館を出た。それをここで書くのは何故かはばかられるような気がする。「観る者誰もが無関係でいられない、心を揺さぶる物語」というチラシのキャッチはまさにその通りだ。美しい山暮らしと自然描写の長回しで始まり、リゾート開発と環境破壊という社会的テーマが導入され、意表を突くエンディングを迎える。「車」での移動のカメラワークは印象的。複雑なプロットはなく「不気味なほどの単純さに収まっている」(蓮實重彦評)にもかかわらず、このエンディングによって、この作品は一気に神話的スケールを獲得する。観る者にさまざまな読解とさまざまな角度からの感情移入を誘発する、途方もないそして妥協のない黙示録である。石橋英子のすばらしい音楽、映像、そして「悪は存在しない」という挑発的なタイトルが等価的相互作用を発揮して、このきわめて美しくきわめて重い黙示録を成立させている。

 

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』2~群衆へ

下巻に入ってさまざまエピソードが錯綜し、道に迷った。「真夜中の子供たち」がインド亜大陸の大きな歴史の流れのなかで何某かのベクトルを示しながらエピソード群を綴じてゆくのかと思ったら全く当てがはずれた。「かくして私はもう一度わが家から追放されたばかりか、私の真の生得権である才能、真夜中の子供たちの才能からも追放されたのである」(p.116)。インドとパキスタンの現代史に登場する何人もの政治家のスキャンダルが語られてゆく。サリーム・シナイは妹ジャミラ・シンガーに接近し、離れる。「私が嗅げるものを、ジャミラは歌うことができた。(…) 私の鼻と彼女の声。」(p.185)ジャミラの声はナショナルな道しるべとなり、サリームの嗅覚は汚れた現実に向かう。そして浮上する「カシミールの夢」(p.215)。語り手の「私」はいったいどこに立っているのだろう? およそナショナルな空間とは無縁な複数の場所を漂うサリーム。サリームはどこにも立っていない。どんな集団をも代弁したり特権化したりすることはない。彼の語りには、尺度の壊乱とでも言うべき戦略がある。それはある意味で即興的であり、どこに向かうかわからない。いや、向かう場所はある。それは「群衆」である。彼に寄り添ったパドマは群衆の中に紛れてしまう。「私は群衆のなかになじみぶかい顔を見る、彼らはみなここにきている」(p.513-514)。「私生活を捨てて群衆という絶滅に向かう渦のなかに飲み込まれること、そして平和に生きかつ死ぬことができないことは、真夜中の子供たちの特権でもあり呪いでもある」(p.515-516)。インド亜大陸にひしめく17億人以上の人々。サリーム・シナイはその群衆の一人に紛れていく。群衆のエネルギーがこの小説を通して圧倒的に放射されている。

 

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』1~匂いのない読書

管啓次郎研究室主催、長編文学輪読会はインド亜大陸に上陸し、ポストコロニアル文学圏に接近してきた。作者サルマン・ラシュディボンベイ生まれのイギリス系アメリカ人。2022年の作家刺傷事件は記憶に新しい。インドについて皆目無知である自分は、インドとパキスタンの分離独立、カシミール問題、難民化するヒンドゥー教徒イスラム教徒やシク教徒など、大英帝国というコロニアル状況から脱出せんとする土地の受難を追跡しながら、知らない土地についての文学を読む苦労を味わった。嗅覚の優位が際立つテクストである。インドに旅行したことのある輪読会のメンバーが、読んでいるうちにストリートの匂いがよみがえってきた、と発言していた。うらやましいなあ。さまざまな芳香、雑多な匂いがたちこめているであろうその土地を旅したことのない僕にとって、この読書は無臭。それが辛いといえば辛い。チャツネを入れたカレーでも作ろうか。

 エログロナンセンスにあふれた饒舌な語り。トーマス・マンの重厚で端正な語りのあとで捧腹絶倒、荒唐無稽、大げさで騒々しいナラティヴと付き合うこととなったわけだが、小説の語りが相手にする時代状況は重い。その重さを現実と幻想の敷居を取っ払った奇想天外なファンタジーとして炸裂させるラシュディの語り口(魔術的リアリズムと呼ばれる)。その錯綜とした叙述を一読で咀嚼し俯瞰するのは僕には難しかったが。

3代に渡るムスリムの家系物語におけるキーワードは「鼻」と「匂い」。小説内で何度も言及される、象の頭をもつヒンドゥー教のガネシャ神。主人公サリーム・シナイはきゅうりのような巨大な鼻を持ち(その鼻は主人公の性的不能と相関があるだろう)、祖父アーダム・アジスもまた「シラノ鼻」の持ち主。ただしそこに血縁はない。サリームは生まれたときに「取り違えられた」子どもなのだ。インドが独立する1947年8月15日の真夜中に生まれた子供たちは特権的な存在であり、異形であり、異能である。

 上巻で印象的だったのは「全インド放送」の章である。9歳のサリーム・シナイは、他人の意識に入り込めるという不思議な能力を手に入れる。そして夥しい人々の意識のスクリーンに映し出される事柄を語る。「私は一種のラジオになったのだ」(376頁)。「つまり私はこんな気がしていたのだ、ぼくは世界を創造している。ぼくがとびこんでいった想念はぼくの想念になる。ぼくが取り憑いた肉体はぼくの思うように動く。日々のニュース、芸術、スポーツなど、一流のラジオ放送局の多様な番組がぼくのなかに流れ込んでくるとき、ぼくがどうしてかそれらを生起せしめているのだ」(396頁)。魔術的メディウム、DJサリーム・シナイの深夜放送を僕らは聴いているのだ。

オスカー・ピーターソン!

UPLINK吉祥寺で妻と『オスカーピーターソン---black + white』(バリー・アヴリッチ監督、2020年)を観る。強力にどこまでもドライブするこの超絶技巧ピアニストのプレイさながら、短いシークエンスを連鎖させてどこまでもハイテンションで突き進む映像構成にやや圧倒された。オスカーがなかなか渋い喉を聴かせることは知らなかった。これは収穫。カナダという文化的「周縁」は、グレン・グールドオスカー・ピーターソンという二人の天才的ピアニストを生んだ。グールドはトロント、ピーターソンはモントリオール生まれ。グールドはコンクールと無縁のキャリア形成を経てコンサートをドロップアウトしてスタジオに引きこもった。オスカーは対照的に、ノーマン・グランツ率いるJATPに参加し夥しいライブ録音を発表していった。オスカー・ピーターソンをそれほど意識して聞いた記憶はないのだが、レコード棚を覗いてみたら、ざくざく出てきたではないか。トリオ編成だけでも6枚あった。以下忘備録。

At The Stratford Shakespearean Festival (Verve, 1956)  ハーブ・エリス(G)、カナダ、オンタリオ州ストラトフォードでのライブ。ナット・キング・コールのトリオがそうだったように、初期の「ピアノ・トリオ」はドラムスではなくギター、ベース、ピアノの構成だった。

The Sound OF The Trio (Verve, 1960) シカゴ、ロンドンハウスでのライブ。エド・シグペン(Ds)、レイ・ブラウン(Bs)を従えた鉄壁のトリオ。オスカーにぴったり寄り添うエド・シグペンの繊細かつダイナミックなブラシが最高。

Something Warm (Verve, 1961?)  ロンドンハウスでのライブ。

Night Train (Verve, 1962)   ロス・アンジェルスでのスタジオ録音。 

In Tokyo 1964 (Pablo, 1964)   東京ライブ。 Somewhereでのレイ・ブラウンのアルコは絶品。日記のどこかでジャズ・ベースの弓弾きが一番うまいのはポール・チェンバースだ、と書いたような気がするが、レイの方が上手いかなあ。

Eloquence (Limelight, 1965)   コペンハーゲンでのライブ、鉄壁トリオの最後のライブ録音。

The Way I Really Play (MPS, 1968)   スタジオ・ライブ録音、サイドはサム・ジョーンズ(Bs)&ボブ・ダーハム(Ds)となる。ダーハムのドラムスはパワフルでマッコイ・タイナートリオのようなエネルギーを発散する名盤。

                 ★

なんでこんなに持っているのだろうと考えているうちに思い出した。就職して数年たった頃、同僚の国語の教師から、知り合いのジャズ喫茶が店をたたんでLPを始末するので100枚1万円で買わないかと持ち掛けられた。見せてもらった数箱のなかから、気に入ったものやその同僚から「これはいいぞ」と勧められたのを手あたり次第に選んだ。そのなかにオスカーが入っていたわけだ。(ちなみにエルモ・ホープもずいぶんあった。エルモ・ホープについてはまた改めて書こう。)

そんなわけで、映画を見た後しばらくオスカー・ピーターソンが我が家のターンテーブルに乗るようになった。ついでに次の3枚も仕入れた。

Oscar Peterson Plays Count Basie (Verve, 1956)   ハーブ・エリスバディ・リッチ(Ds)が加わったカルテット構成。

A Jazz Portrait Of Frank Sinatra (Verve, 1959)  鉄壁トリオの1枚。シナトラ集を作ったのはオスカーもヴォーカルが得意だったからか。

Please Request (Verve, 1964) オスカー・ピーターソン入門盤。鉄壁トリオ。

                  ★

オスカー・ピーターソンのアルバムでお気に入りは、と聞かれたら次の2枚を挙げる。サイドに回ったときのオスカーが好きなのだ。

Only The Blues (Verve, 1958) ソニー・スティット(Ts)のリーダー・アルバム。

Anita Sings The Most (Verve, 1956)

Only the BluesのB面(LPだからね)1曲目B.W.Blues。出だしのブギウギのパワフルなこと。(昔、このLPをジャズ喫茶でリクエストすると決まって何人かの客がジャケットに眼を向けた。な、いいだろ、と内心悦にいったものだった。)また、ジャズ・シンガーのなかでも卓越したアドリブを取れるアニタの最良の伴奏者はオスカーだろう。

夕刻疲れて帰宅して、家事をしたり食事を作ったりしながらオスカーを聴いていると、人生とはそんなに複雑なものでもないかなと思えてくる。

 

鉄壁トリオによるC Jam Blues    恐るべきドライブ感。

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トーマス・マン『魔の山』(下)――華麗なるディスクールの饗宴

下巻に入って「キリスト教共産主義」ナフタと、「共和主義的資本主義者」セテンブリーニとの激しく錯乱的な批判合戦が展開するのだが、417頁に新たなディスクールの担い手がサナトリウムに登場する。メインへール・ペーペルコルンという、ジャヴァでコーヒー園を経営している年配の植民地オランダ人男性である。ショーシャ夫人がこの男性とともにサナトリウムに戻ってくることでハンス・カストルプは動揺するのだが、この人物の導入は、ベルク・ホーフという「世界」にとって、いかなる意味をもつのだろうか。博学で辺りを圧倒しカリスマ性を発散するこの大男はベルク・ホーフの風紀をかく乱する。その彼が薬学のうんちくを傾けてキニーネについて語る場面で次のような一節がある。「ペーペルコルンは非常に印象的に、いつもに似ず筋道をたてて、薬物と毒物とについて語った。」(485頁)ここでひとつの妄想が浮かぶ。PeeperkornはPharmakonではないのか? プラトンの『パイドロス』冒頭に登場するパルマケイアはニンフだがもともと泉の名でその水を飲む者は命を失った(岩波『プラトン全集第5巻』p.137訳注)。薬にして毒、両義的な性質を体現する「パルマコン」はのちにデリダが前景化する概念だが、独善的で強烈なペーペルコルンという人格はまさにパルマコン的存在であるように思われる。そして、植民地とはヨーロッパ世界におけるパルマコンであったと言えまいか。すなわちペーペルコルンとは、パルマコンという植民地ディスクールの体現者であるように思えるのだ。ベルク・ホーフというミニチュア「ヨーロッパ世界」にペーペルコルンをマッピングすることによって、植民地支配を礎とする近代ヨーロッパによる世界俯瞰図が完成する。

                  ★

 ところで、下巻でもっとも印象的だったのは、なんといっても256頁あたりから始まる、ハンスが夕刻スキーで遭難しかかる場面である。大学生だった頃、ワンダーフォーゲル部に入り山スキーに夢中になっていた僕は『魔の山』のこの雪山を彷徨する描写に深く心を惹かれた。その記憶がよみがえった。たとえば次の一節。「高所の純白からでて地面の純白に降り下ってくるいくつかのごく小さな切片のほかは、見渡すかぎり、まったくの無で、どこにも目に見えるものはなく、あたりの静寂は力強く無言だった。」(266頁)。冬山に足を踏み入れたことのある者ならば誰もがこの静寂の美を知っている。遭難の描写としてはやや観念的なところもある気がするが、スキーで山中を彷徨する一節は、山とスキーを知る者にとって実に魅力的だ。

                  ★

 久しぶりの再読で、若き日の自分の読解の稚拙さも確認された。ハンス・カストルプは夕刻吹雪のなかで遭難しかかって生還し、その体験からニーチェ的超人となって山を下るのだと思い込んでいたが(上巻の感想でもそんなことを書いた)、そんな単純な話ではなかった。716頁「立腹病」あたりから、サナトリウムには口論や諍いが蔓延する。それは平地で勃発する第一次世界大戦と呼応している。サナトリウムという「天上世界」は下の世界と連動しているのだ――「私たちの物語は、その内的性質からいって、その他の点でも、あれこれと童話に関係があるといっても差支えなかろう」という上巻10頁の「まえおき」の一節が思い浮ぶ(太字強調引用者)。サナトリウムの童話(あるいは寓話?)は当時のヨーロッパの激動を映し出している。ハンス・カストルプはその激流に巻き込まれ山を下りる。そして一兵士として背嚢を背負い戦場を行軍するところで物語はフェイドアウトしていく。ハンス・カストルプとは誰なのだろう。それは超人でもなんでもなく、病めるヨーロッパ自体の姿ではなかったか。『魔の山』はミシェル・フーコーの愛読書であったという。

                  

 

 

八方尾根スキー

無性に八方尾根に行きたくなった。スキー場から雪を頂く唐松岳を見たくなったのだ。白馬に宿を取り、新しい板を買った。金曜日、午前中の授業を終えて午後休暇を取り、出発。クラブ活動で忙しいUは今回は付き合えず、30年ぶりの単独スキーである。ボロディン交響曲3曲、ブルックナーの0番、マーラーの1番と長尺のシンフォニーを聴きながら関越道~上信越道を快調に飛ばしているうちに日が暮れる。長野ICで高速を降りたところにある見つけた食堂で夕食。松代食堂という。いろんなおかずが選べてどれにしようか迷った末、サバの味噌煮、長芋磯辺焼き、豚汁を頼む。けっこうおいしかった。夜の帳が下りると少し寂しくなる。アブド・アル・マリク『ジブラルタル』、ジェームス・ブラウン『セックスマシーン』なんかで気分を上げながら白馬長野道路を西進し、夜7時過ぎに白馬村に到着。道路に雪はまったくない。闇のなかにぼーっと浮かび上がる雪山が不気味な「魔の山」に見える。宿にチェックインして近くのコンビニまで往復すると、小学生だったUを連れてきた6年前とは雰囲気が一変していた。歩いているのは海外からのスキーヤーや観光客ばかり。ホットドックの屋台や「寿司&イタリアン」という不思議なレストランや、いかにも海外からのお客さんをターゲットにした店ばかりが目に付く。スキー場はもはや国際サナトリウム、いや国際リゾートである。宿に戻り、温泉に浸かり、ウイスキーを飲みながらトーマス・マンとLéonora Mianoを読み進める。のんびりしたオフの時間。

翌日は張り切って、リフトが動き出す8時に滑り始めるが、ガスがかかって山はよく見えない。ここ一週間雪が降っていないので雪面はガリガリ、2月上旬とは思えない最悪のコンディション。温暖化の影響は深刻だ。ゲレンデ最上部標高1850mの八方池山荘で昼食。カツカレーを平らげてコーヒーを飲んでいるとスウェーデンから来たという数人のグループが隣に座った。八方のパウダースノーを期待していたんだけど、と彼らも残念そうである。昼食後山荘を出ると、一瞬ガスが切れ、北アの主稜線がちらりと姿を見せた。うーん、よかった。稼働しているリフトはすべて乗り、ウラクロとオリンピック以外の全コースを制覇した。夕刻、リフトが止まる16時少し前、うさぎ平テラスで飲んだスタバのカフェラテが疲れた身体に沁みわたった。

 

トーマス・マン『魔の山』(上)――華麗なるディスクールの饗宴

管啓次郎研究室主催長編文学読書会はトルストイのあとドイツ語圏に飛んだ(もうちょっとロシアの大地にとどまりたい気もしたのだが…)。『魔の山』(1924年)である。大学に入ってすぐニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』とともに読んだあとの高揚感を懐かしく思い出した――英雄は山を下るのだった。そのときは関泰祐・望月市恵訳の岩波文庫4分冊で第1刷が1961年。今回のテクストは高橋義孝新潮文庫上下2巻で、最近の改訳かと思いきや第1刷が出た1969年のままだった。最近の訳業は見当たらないようだ。1929年にノーベル賞を受賞した大作家のビルドゥングスロマンは、昨今では流行らないのだろうか。

新潮文庫版『魔の山』(上巻)は第1章から第5章までを収める。時は第一次大戦前。ハンブルグ生まれの主人公ハンス・カストルプはダボスの国際サナトリウム「ベルクホーフ」で療養中のいとこヨアヒム・ツィームセンを訪れるのだが、ハンス自身も体調を崩し、そこで結核療養中の人々とともに暮らすことになる。ハンスは汽船会社への就職が決まっているエンジニア、ヨアヒムは軍人である。

「ベルクホーフ」を主な舞台に展開するこの小説には、さまざまな登場人物の発言や容姿の描写を通じてヨーロッパの思想・文化の歴史が幾層にも重なりながら諧謔を交えて洪水のごとく語られ、アルプスの山中から世界が俯瞰される――ただしそれは後述するように、ヨーロッパのまなざしによる俯瞰である。同時に、20世紀初頭の最新の人文知(精神分析)や医学技術(レントゲンなど)が導入される。主人公ハンスは、下界から隔絶された場所で、世界についての広大な知の渦に巻き込まれる。サナトリウム文学から連想されがちなこじんまりした私小説的空間とは無縁の大きなスケールを本作は備えている。

この世界展望台にはさまざまな知の言説(ディスクール)の代弁者が出現し、彼らの弁舌のパフォーマンスは周到に配置、構成されている。たとえば、ハンスの質問に答えて「生命もやはり酸化作用です」(553頁)と答える医師ベーレンスはサナトリウムの最高権威であり医学のディスクールを担う。ベーレンスの傍らにいるもう一人の医師クロコフスキーは精神分析ディスクールを療養者に開陳する。レントゲンによってハンスはヨアヒムの「裸の骸骨」を覗き、「冒涜の強烈な快感と敬虔の情」を感じ、自分の手の画像を見て「自分の墓場を覗いた」ように思う(453-455頁)。そのレントゲンの場面のすぐあとに精神分析のトピックが続く流れが興味深い。療養者の一人であるセテムブリーニは「人文主義者」を自称するが(127頁)、ハンスとの会話で精神分析とは「墓穴と、その醜悪な解剖に近いものになる危険があります」と批判する(463頁)。エンジニアであるハンスは、生と死が隣り合わせのサナトリウムで展開される、従来の人文知と20世紀の科学知のディスクールのせめぎあいのなかで、精神と身体の両面において不可視なものを可視化する知と技術を体験するのである。

国際サナトリウムで療養する人々の出自はさまざまであるが、彼らにはヒエラルキーがある。たとえば、レストランでヨーロッパ人の座席に区別はないが、ロシア人に対しては「下層ロシア人」と「上層ロシア人」の席が分かれているという事実には、ヨーロッパをロシアの上位に置く文化的差別があらわれていると言える。ハンスに大きな影響を与えるセテンブリー二は「ここにはアジア的なものがありすぎる」(p.504)と述べるが、ヨーロッパ的人文知にとって「ロシア」はヨーロッパではなくアジアなのだ。ハンスが心を寄せるショーシャ夫人の容貌は「キルギス人のような眼をした」(p.335)と形容され、「アジア的」エキゾチシズムを反映した表象であるともいえる。(また、ショーシャ夫人は、ハンスが子どものときに好きだった少年プシービスラフと二重写しになっていて、先の尖った鉛筆の貸し借りといったエピソードの読解には素朴な精神分析的アプローチが可能なところだろう。)『魔の山』において、世界はまぎれもなくヨーロッパ人のまなざしから俯瞰される。

上巻で一番印象に残ったパッセージは以下の部分である。「数年前の晩夏、ホルシュタインのある湖で、夕方ひとりで小舟を漕いだときのことが思い出された。[…]そのとき十分あまり、空がひとをとまどいさせる夢のようなありさまを呈した。まだ明るく、西の空にはガラスのように冷たくはっきりとした昼の光が広がっていたのに、頭をめぐらして東の空を見ると、そこには同じように透明で実に美しい、しめやかな靄のかかった月夜があった。こういう奇妙な状態が約十五分ぐらいも続き、やがてあたりは月光の世界になっていったが、陽気な驚きを覚えながら、ハンス・カストルプは、一方の明るい風景から他の明るい風景へ、昼から夜へ、夜から昼へと、まぶし気に眼を移行させた。」(p.323-324)この昼と夜が同居する夢幻的風景描写は、この作品で対立するさまざまなふたつの世界=言説を象徴しているように思われる。西に見える「ガラスのように冷たくはっきりとした昼の光」は西欧、東の空に広がる「しめやかな靄のかかった月夜」はロシアとアジアである。さらに下巻でセテンブリーニとナフタの論争に風刺的に展開されるルネサンス人文主義キリスト教中世のディスクールの対比もこの象徴的風景描写に読み込めるように思われる。それについては次回に書こう。