2015-01-01から1年間の記事一覧
ユーロスペースでイスラム映画祭で話題の『禁じられた歌声』を観る。監督のアブデラマン・シサコはモーリタニア出身。トゥアレグ族のトヤと彼女の両親はティンブクトゥ近くの街でテントで暮らす。街はあるときジハーディストに占拠され、生活は一変する。同…
2009年に就任した合衆国初の黒人大統領バラク・オバマは、インディアン強制移住法への謝罪と国家補償を約束し、キューバ東端グアンタナモのキャンプ・デルタを閉鎖した。そこに想起される、奴隷制度、メキシコ侵略、インディアンの掃討という遅れてきた「帝…
昨日は仕事のあと、はるばる渋谷への旅。ユーロスペースで楽しみにしていた「イスラーム映画祭」、『トンブクトゥのウッドストック』(2013年、デズィレ・フォン・トロタ監督、ドイツ、90分)に滑り込みで間に合う。マリで開催された音楽祭「砂漠のフェステ…
一日お休みの火曜日、思い立って広尾まで車を飛ばし、都立中央図書館で東松照明の写真集を見て過ごす。『日本列島クロニクル――東松照明の50年』と『東松照明と沖縄、太陽へのラブレター』。沖縄からカオス的世界のビジョンへと開かれていった写真家は、つね…
ジュリアンのスラムに接して、プラトンの対話篇『イオン』を思い出した。古代ギリシャのむかし、一人の吟唱詩人(ラープソードス)がいた。彼の得意とするのはホメロスの朗詠。アスクレピオスの祭礼での詩の朗読大会で一等賞を勝ち取り、意気揚々と一人の賢…
昨日、早稲田大学現代フランス研究所主催のワークショップ。Julien Delmaire氏による講演とパフォーマンス。すばらしかった。まず日本に出発する土曜日に勃発したパリの襲撃事件にふれ、この事件が暴力の連鎖にならぬように祈るとのメッセージ。(しかしフラ…
MARUZEN&ジュンク堂のブックフェアが再開という記事を読む。「闘います!」という店員の非公式アカウントからのツイートの批判が殺到してしばらく様子見となっていたフェアである。どうかひるまないでがんばってほしい。もしSNSがなかったらもっと鈍感でいら…
毎年ティーン・エイジャーに紹介する一冊の本。昨年度は木村友祐『聖地Cs』だったが、今年は『モモ』にした。こんな具合。 ★ ―――2015年はドイツの偉大なる児童文学者、ミヒャエル・エンデの没後20周年ということで、1973年に書かれた傑作『モモ』を推薦しま…
先日、勤め先でティーンエイジャーとともに、17世紀ロンドンのコーヒーハウスの社会的機能と現代のSNSを比較する英文を読んだのがきっかけで、本棚から臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史がまわる』(中公新書)を引っ張り出して読みはじめた。きのう吹きっさ…
午後、外大AA研の第2回『プレザンス・アフリケーヌ』研究会を聴講。仕事に追われて1時間近く遅刻。佐久間寛さんの発表「プレザンス・アフリケーヌ誌目録の構想と初期の概要(1955−1960)」の途中から拝聴する。佐久間さんによるデータベース化で、1947年に刊…
喧噪の9月が去って一休み。このところ家のCDやらDVDやら音楽関係資料の整理を始めた。埋もれていた音源や映像に出会うと、おお懐かしい。ヘッドフォンをつけて、ついつい夜更かし。友人から借りっぱなしのThe Beatles, Magical Mistery Tour(1967)を観る。悪…
René Dubosの著作を2冊読了したので備忘録。1冊目は、The Dreams Of Reason---Science and Utopia,1961(『理性という怪物』三浦修訳、思索社、1974年)。2冊目はReason Awake --- Science for Man, 1970(『目覚める理性---人間のための科学』野島徳吉、遠…
帰り道、武蔵小金井駅の改札を降りたら、3人の男女が小さなボードをもって和やかに会話をしながら立っていた。そのボードには、「主権は私たち国民の手にある」「NO WAR・NO ABE」と書かれていた。近づくとちょっと緊張したように会話が止んだ。「ごくろうさ…
午後、家族で東京都現代美術館に出かけた。『ここはだれの場所?』展を見る。充実していた。ポーランド生まれのドイツのテキスタイル・デザイナー、ヨーガン・レールのインスタレーションに目を奪われる。石垣島で拾い集めたというプラスチックのゴミをきれ…
文学・環境学会での発表に触発されて、『川底に』(1983年、管啓次郎訳)と『小さな場所』(1988年、旦敬介訳)を読了。『川底に』は1949年旧英領アンティーガ生まれのジャメイカ・キンケイドの記念すべき処女作である。変幻自在の「わたし」の成長の軌跡を…
翌日、23日はフランス語圏パネル。タイトルは「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」。まずは鵜戸聡さん。カテブ・ヤシンに描かれるアルジェリアの環境。驟雨のたびに流れをとり戻す「ウェド」(ワジ)は死と再生の象徴である。はるかに古代ヌミディ…
当日の朝まで準備に追われた。ルネ・デュボスの何冊かの著作に目を通し、猛烈な残暑の太陽が照りつける上信越道を飛ばして、汗だくで小諸の安藤百福研修センターに到着したときにはすでに15時半をまわっていた。山林に囲まれたウッディでモダンな施設である…
初台の東京オペラシティで『ザ・テノール 真実の物語』を妻と観る。甲状腺がんで声を失ったが奇跡的に復活を遂げた韓国のテノール歌手、ベー・チェチョルの物語。日野原重明さんの微笑ましいトークもあった。そのあと夕方から馬喰町ART+EATで今福龍太氏を囲…
昨日、夕方から、早稲田大学現代フランス研究所主催のワークショップ。タイトルは「フランスとカリブ海を学ぶ――戦後70年、マルティニク島の変貌」。まずは塚原史先生のイントロ。1941年、ブルトン、ラム、レヴィ・ストロース、セルジュらを乗せた知識人亡命…
キース・ジャレットの新ソロ・アルバム。2014年の4月から7月にかけてのツアーのなかから、トロント、パリ、ローマ、東京での2つのコンサートがピックアップされ(東京のライブは聴きに行った)、ショート・ピースからなる新たな即興組曲として編集された作…
京都造形芸術大学でクリエイティブ・ライティングを教える大辻都さんによる快著。1ヶ月以上前に読了していたが、ようやく感想文を書く余裕ができた。 第1部「クリエイティブに書く!」では作品の細部に接近して、実践的文芸理論をやさしく解説。授業で創作さ…
WC研。タルコフスキーの『ストーカー』(1979)を観る。ストルガツキー兄弟脚本、160分の大作。タルコフスキー特有の「水」、それも油の浮いた汚い水が広がる。線路、列車、汽笛、迷路といった反復されるタルコフスキー的記号。 「ゾーン」に入り込んだ道…
ついに出た! キース・ジャレットのクラシック・ピアニストとしての技巧の頂点のひとつを明らかにした記録である。すばらしい名演だとおもう。まずはバーバーの協奏曲。第1楽章のインプロバイザーならではの自在さを感じさせる無伴奏の導入部から一気に引き…
種村季弘訳の河出文庫版でクライスト(1777−1811)の短編集を読了した。災害共同体が一瞬にして反転する「チリの地震」をぼくらは噛みしめる必要がある。クレオール小説の先駆け「聖ドミンゴ島の婚約」。怪談「ロカルノの女乞食」をインタールードとして「拾…
ジャズ好きのあたらしい同僚のすすめでビル・エバンスの晩年のライブ映像Jazz at the Maintenance Shopを観る。1979年1月、アイオワのジャズクラブでの演奏のファースト・セット。いやあ、懐かしのビル・エバンスである。マーク・ジョンソンのベースが初々し…
今年の4月は雨が降って寒い。妻と国分寺のcafé slowで昼食。ここは2回目。たしかにそれは「贅沢品」だろう。しかし一度味わって見るといい。自家採取した「つづく種」(その土地の土壌にマッチした固有種、在来種の野菜)を丁寧に調理した料理がいかにおい…
ミショーによる「氷山」「イニジ」というふたつの詩に敏感に反応したル・クレジオの散文詩的批評。それに共振する今福龍太と翻訳者中村隆之のテクスト。言葉の極北へむかう旅。コミュニケーションを拒絶する北の果てに屹立する沈黙の氷塊。極点へむけて人の…
読み終わったとき、万感胸に迫る思いだった。グリッサンの『第四世紀』の最後に登場するクロワ・ミッションの喋り屋ボザンボ、シャルルカンが、まるで、語りの達人ソリボの姿となって目の前に現れたように思えたからだ。グリッサン詩学を継承し、小説ジャン…
13時ぎりぎりに恵比寿の日仏会館ホールに到着すると、以前インゴルドの翻訳でヤナーチェクの手稿楽譜の調べ物を手伝ってくれたHくんと思いがけず再会した。澤田直さんコーディネートのセミネールは大入り満員。「物質とはイマージュの総体である」と喝破した…
久しぶりに休みの土曜日。子守をしながらのんびり過ごす。昼前に昨年から合気道を始めた息子を小金井体育館まで送り、稽古のあいだロビーで『判断力批判』を読み進める。稽古が終わったらいっしょにおにぎりを食べ、午後は某中学校のグランドで今度はソフト…