キンケイドを読む

 文学・環境学会での発表に触発されて、『川底に』(1983年、管啓次郎訳)と『小さな場所』(1988年、旦敬介訳)を読了。『川底に』は1949年旧英領アンティーガ生まれのジャメイカ・キンケイドの記念すべき処女作である。変幻自在の「わたし」の成長の軌跡を辿る10編の夢幻的掌編。第1篇「少女」ではまだ「わたし」は登場しない。小さな娘に人生の舵の取り方を教え諭す母のことば。そこにいかにアンティーガの女性の人生が浮き彫りにされているかは、管さんの解説にある通り。第2編「夜の中を」に登場する幻視するわたしは赤ん坊が生まれるのを聞く。第3編「翼なく」では美しい女になることを夢見るプリミティヴで翼がない、さなぎ段階の私。第4編に示されるリビドーの昂まり。第8篇「黒さ」では、黒人性と向き合うわたしが描かれる。静けさのなかで黒さに溶けてゆくわたしの覚醒に、ファノンの苦悩の木霊が遠くに聞かれようが、ここにいるのは母であるわたし。第10篇「川底に」では、沈める家を幻視する私は、太陽と月がいっしょに輝く、山や谷や森や動物のいる見たこともない世界にゆきたいとあこがれるが、しかし、いつかは失われ何の痕跡も残さないすべてに、解きがたくしばりつけられている自分を引き受け、自分がしっかりと完全になるのを感じ、わたしの名前が口をみたしてゆくのを感じる。氾濫するイメージのうねりに翻弄されつつ辿りつく、しずかに自己肯定を表明するエンディングのずっしりとした重さ。
 『小さな場所』は一転してアンティーガの現実界を告発する戦闘的ディスクール。アンティーガを訪れる観光客である「あなた」を主語とする二人称の語りで始まる小さな植民地主義論。セゼールの怒りが小さな世界の語りの隅ずみから沸き立つ。32頁から「わたし」が登場し、ヴィクトリア女王の誕生日を暗唱させられる教育の不条理が語られ、北米白人のための休暇施設ミル・リーフ・クラブが告発され、島を牛耳る富裕層の搾取と汚職が暴露され、地震で倒壊した図書館を未だに修復できない現政府批判が展開する。「小さな場所」の民は、近代システムのなかにはいない。過去・現在・未来という時の分割は存在しない。奴隷解放のことを、まるで先日起こったことのように語る。こちらのエンディングも衝撃的に美しい。「主人というのはすべて屑であり、どんな種類の奴隷でも彼らはすべて高貴で気高い。アンティーガの人たちはこの高貴で気高い人たちの子孫だ。もちろん肝心なことは、ひとたび主人であることをやめると、あなたは人間の屑ではなくなり、ただの人間になる。奴隷に関してもそれはまったく同じだ。ひとたび奴隷でなくなると、ひとたび自由になると、彼らはもはや高貴でも気高くもなくなる。ただの人間になる。」(9月12日記)