2009-01-01から1年間の記事一覧

横浜中華街にて

『異郷日記』で媽祖信仰を知った。北宋時代、官僚であった林氏の娘、黙娘(もうにゃん)、のちの媽祖は、生後1カ月泣き声を上げることなかったが、その後さまざまな奇蹟を行い神格化された。道教の系譜に入る中国の民間宗教であり、中国、台湾ならびに華僑の…

WALKING & 西江雅之レクチャー

生田の山にWALKING展を見に行った。山と歩行をめぐる本たちの展示とインスタレーション。管啓次郎の詩文と佐々木愛のイラストレーションは息があっていて素敵だ。それを見ながら、詩集って手稿のまま出版するべきじゃなかろうか、と思った。透明なコミュニケ…

ル・クレジオ講演会

Une quete nommee fictionと題されたル・クレジオの講演会を本郷で聴く。15時開始で、14時半に行ったらすでに法文2号館1番教室は満席(さすがノーベル賞効果)、2番教室でモニターによる同時中継を見る。1940年ニース生まれで先祖はモーリシャスに定住したブ…

ポランスキ&ラビア・ムルエ

今日のワールド・シネマ研はポランスキ特集、前々から楽しみにしていた。ダヌークさんのガイドでまず長編処女作『水の中のナイフ』(1962)を見る。ポーランド北部、マズール湖沼地方を舞台に、金持ちの夫妻が貧しいヒッチハイクの青年を自分のヨットに乗せ…

ハプスブルグ展&The Outline

六本木、新国立美術館でハプスブルグ展を見る。ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の所蔵品を中心にハプスブルグ家ゆかりの美術品を集めた展覧会。金曜の午前中というのに大混雑。内容は予想以上の充実ぶりで、ヨーロッパ油彩画をたっぷり味わ…

ことばが音楽になるとき

勤め先のホールでの演奏会。間宮芳生『三色草紙』(1980)と湯浅譲二『児童合唱のための「擬声語によるうたあそび」』(1985)という2曲の女声合唱曲を聴く。前者はいわるゆベルカントではない日本人の発声法で歌われる、民謡やお囃しに溢れた曲。とても懐かし…

管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』

エドゥアール・グリッサンからエイミー・ベンダーまで多くの翻訳を手がけてきた筆者の最新エッセイ集。強力である。さまざまな旅、読書、翻訳、教師としての経験を通じて筆者が語り続けるのは「文をつくること」と「文を読むこと」の根源的な意味である。世…

ロマとグリッサン

10月3日にワールド・シネマ研究会で取り上げたロマ(ジプシー)関係のノートを整理している。ロマという人々は「交通」のなかにしか存在しない。さまざまな場所で、自分たちより長くそこに住んでいる人々から迫害を受け続けてきた民。トニー・ガトリフの傑作…

幼児失踪

いい天気ののんびりした休日に肝を冷やした。息子を連れて散歩に出かけたのだが、いつもは母親に連れていってもらうお気に入りの児童館の隣にある公園に着いて、途中で買った巻きずしを食べようとしたら、お茶を買うのを忘れているのに気づいた。ベンチに座…

10月の2つのテクスト

管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』を読んでいる。「触発」という二文字がふさわしい素晴らしい読書の時間。p.47に引用されている田村隆一の「見えない木」の一節と久々に再会した瞬間、自分の身体のなかに或る感覚がたちまち蘇った。それは20代…

ゴーギャン展

勤め先の秋祭りがひと段落。風邪をひいたが、がんばって竹橋に出かけた。株式仲買人として成功していた所帯持ちの男性が芸術と旅の呪いにかかって放浪の末、旅先の熱帯の島で死ぬ。その軌跡はフランス植民地空間の内部を辿るものとはいえ、刺激的だ。作品と…

40人ほどのお客さんの前でピアノを弾いた。ここのところ温めていたアイディアに Deep Purpleのsmoke on the waterをちりばめた5分ほどのimprovisation。 人前で弾くのは数年ぶりで、えらく緊張した。終わってほっと一息。

メキシコ20世紀絵画展

今日で最終日、子守当番の日だがなんとか駆け付けた。背負子に息子をのせて入場。 でも背負子で観賞するのはいけないらしく、途中で係員に注意される。ベビーカーならいいらしい が、なんでだかよくわからない。恐縮しながら駆け足で廻ったので何を見たかよ…

昨日ついに熱が下がった! 今日の血液検査で炎症反応がなくなったのでもう大丈夫だろうとの診察。心底ほっとする。でもまだ咳が残っていて、喉頭炎の名残でハスキー・ヴォイスのままなのでしばらくは無理は禁物。風邪薬ももうしばらく服用するようにと指示さ…

息子の闘病が続く。毎日午後になると40℃の熱と戦っている。今日で4日目。脱水症状が出てきたので生まれて初めての水分補給の点滴を1時間半。明日から抗生物質の点滴だ。ウィルス性の風邪で気管支炎になっている。レントゲン写真を見せてもらうと小さな肺の片…

どうやら私の風邪が子供にうつったらしい。朝だるそうにしていたので体温を測ったら36.9℃。なんとなくいやな予感がしてかかりつけの小児科に連れて行く。その時点で38.2℃。薬をもらって帰る。そのあとは家でおとなしく遊んでいたが、お昼寝のあと苦しそうに…

秋葉原の明治大学DC系外部ゼミで「即興の詩学に向けて」という題で20分ほど話す機会を頂いた。修士時代のカントリー・ブルース研究から現在も細々と続けているグリッサン研究を貫く自分のライトモチーフである即興性について話した。即興というプラクシス…

風邪はだいぶよくなった。昼前に東京医大にホルターを返し、電極緊縛から逃れてせいせいして西新宿から南新宿まで歩く。曇り空、わずかに風もあって死ぬほどの暑さでもない。歩いたことのない道を選んで散歩するのはささやかな喜びだ。そういえば日本のオタ…

寝たり起きたりの一日。血中薬物濃度があがったせいか症状は軽くなる。午後は郵便物を出しに近くの郵便局まで散歩。『全−世界論』を読み進める。あらためてグリッサンの書評家としての側面を再確認する。レリス、ボンヌフォワ、モーリス・ロッシュ...「関係…

いかん、完全に風邪モードになってしまった。所用があり風邪薬の眠気をこらえながら午前中江戸川橋まで車で往復。車中でKeith Jarrett"VIenna Concert"を聴く。1991年ウイーン国立歌劇場でのソロ。キースはここで演奏した初のクラシック以外の音楽家となった…

朝、喉の痛みが悪化して、午前中また医者に行き抗生物質を処方してもらう。これ以上悪化しないでほしいものだ。帰ってきたらプリンタがクラッシュ。午後、別の大病院で検査の予約をしたあとヨドバシで新しいHPのプリンタを買う。無線LAN対応なので妻がリビン…

Personal Mountains

昼過ぎから雨になった。午後、茗荷谷まで向かう車中で久しぶりにKeith Jarrettヨーロピアン・カルテットのPersonal Mountainsを聴く。1979年の東京ライブ、買ったときはあまり感心しなかったが聴き直してみるとなかなかいい感じだった。特にラストのLate Nig…

第二外国語、ホントに要らないの?

早稲田で「東アジアの中等教育におけるフランス語」という国際シンポジウムを覗いた。時間の都合で午後の「いかに動機づけるか――フランス語教育の現場から」というセッションのみを聴講した。4人の高校の先生とパリのラシーヌ高等学校の先生の発表。ラシーヌ…

メディア・アートという場

本郷の福武ホールで行われた情報学環主催のシンポジウム「メディア・アートとは何か?」に出かけた。石田英敬先生の基調講演に続いて『不完全な現実』を出版した藤幡正樹さんの作品とレクチャー。その後美術評論家の建畠晢さんを交えたセッション。藤幡さん…

いこかアメリカ帰ろかニホン

管さんに誘われて草月ホールに出かける。「日本の声・日本の音」と銘打たれた今年の〈東京の夏音楽祭〉、今晩のプログラムはハワイ日系移民たちのあいだで歌い継がれた「ホレホレ節」をコアとしたレクチャー&コンサートである。ハワイ大学でエスニック研究…

午前中の補習を終えて駒場図書館に立ち寄るために駅の東側の小さな踏切を渡ろうとしていたときだった。前方を歩いていた若い男にはっとした。なんと彼は靴をはいていない。コンビニ弁当を片手に裸足で歩く姿は一見ワイルドで英雄的だったが、足元を気にしな…

マルティニクの教育

早稲田でのグリッサン輪読会はついに今日Le Discours antillaisをp.576をもって一旦終了した。残りの部分はメンバーで訳を分担することとし、次回からはLa cohee de Lamentin(2005)を読む。感無量だなあ。今日はデルマスさんに途中からマルティネルさんがマ…

夏休み初日は子守ではじまる。午前中は善福寺川沿いの公園で遊ぶが、薮蚊に刺されまくる。ここの遊具は2歳児には高度すぎるのが難点。午後も車で井の頭公園まで足を伸ばす。健康器具が備え付けてある一角で、弛みきった筋肉をちょいと驚かせる程度のストレッ…

オラショ

明治大学和泉校舎にて、コンゴ出身のカトリック司祭・宗教人類学者であるムシン・ロジェ・ヴァンジラ氏による「かくれキリシタン」についての講義を聴く。1587年豊臣秀吉による布教禁止令に端を発し1873年に信教の自由が認められるまでのキリスト教の弾圧期…

トレチャコフ美術館展

今日は仕事を早目に切り上げて、終了間際のトレチャコフ美術館展に 駆け込む。油彩画のボリューム感を満喫する。ロシア19世紀後半の美術を まとめて見るのは初めてである。ロマン主義、リアリズムの絵画だが、少しも 陳腐ではなく、技法や表現手段への真摯な…