ポランスキ&ラビア・ムルエ

 今日のワールド・シネマ研はポランスキ特集、前々から楽しみにしていた。ダヌークさんのガイドでまず長編処女作『水の中のナイフ』(1962)を見る。ポーランド北部、マズール湖沼地方を舞台に、金持ちの夫妻が貧しいヒッチハイクの青年を自分のヨットに乗せて過ごす1日を描いたモノクロフィルム。わずか3人という登場人物の配置のなかに、貧富の差という社会問題が提示される。それにしても何と美しい映像だろう。雨のなか葦の波間に停泊するヨットを始め、はっとする瑞々しいショットの連続。長編のあと短編を3本。映画学校の卒業制作"Two Men and a Wardrobe"(1958)。海中から大きな洋服ダンスを運ぶ優しい男が二人現れて、難儀しながらタンスを担いで街をうろうろした挙句また海へと帰っていく話。"When Angels Fall"(1959)は自分の人生を回想するトイレ番の老婆のもとに生き分かれた息子が天使の姿で舞い降りる。"Le gros et le maigre"(1961)は太った金持ちの日常の世話にこき使われる痩せた青年の哀れを滑稽に描く。これまた社会風刺。
 1933年生まれでいまだ健在のポランスキは、ポーランド人でユダヤ教徒の父、ロシア生まれのポーランド人でカトリック教徒の母を持ち、強制収容所をかろうじて逃れたが母親はそこで殺され、2度目の妻シャロン・テートが妊娠6カ月でカルト教団に惨殺され、また自身が少女への性的行為で起訴されるなど波乱万丈の人生を送った。ところで「水」のイメージは彼の詩学において大きな意味をもつ表象ではなかろうか。『水の中のナイフ』や最初の短編を見て強くそう感じる。精神分析的にみて何かが引っ掛かっているような気がする...。
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 研究会のあと、19時からラビア・ムルエ+リナ・サーネーの『フォト・ロマンス』を見るために池袋芸術劇場に向かう。ああ、何と充実した午後! 小ホールは満員の盛況である。ムルエの作品は2007年に『これがせんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』を見ているが、今回もそれと同様の舞台+映像という複合メディア作品。しかし今回は何と、プロジェクターの下にギタリストが控えている。演劇+映像+音楽ライブというマルチメディアを駆使して提示されたのは、複雑に入り組んだ宗教、政治的立場の乱立とせめぎあいのなかでレバノン人のアイデンティティが問われる物語だった。テーマは『ナンシー...』と通底するが今回の方がもっと砕けてユーモアもあり、一般受けする作品となっていた。
 ラビア、リナ、ギタリストの3人で進行する「演劇」が物語のフレームを構成する。リナは自分のつくる映像作品をラビアに「検閲」してもらおうとしている。リナはPCを使って自分の作品のアイディアをプロジェクターに映し出す。それについてのリナとラビアのやりとりが、始めはドミナントなナラティヴを形成するのだが、次第にリナの「映像」が「演劇」に対して優位に立つようになる。最後にはラビアとリナはギタリストとともにプロジェクターの下にもぐりこみ、映像を支えるBGMとナレーション担当者へと変貌する。(何とラビア・ムルエはピアノとピアニカを演奏した!)ループを駆使したエレキギターはこれまたループを使う映像に効果的に寄り添う。そして、リサが提示する映像作品に登場する、恋に落ちる男女は、リサとラビア自身である。こうしたさまざまな仕掛けを駆使した紋中紋的、あるいはインターテクスト的ややこしさのなかから、重層的に織り成されるレバノン人の集団的アイデンティティ、そして集団的アイデンティティと齟齬をきたす個人のアイデンティティといった問題がリアルに浮上してくる。充実した作品だった。そしてその成功は、アラビア語、フランス語、英語が飛び交うマルチ・リンガルなディスコースを見事に日本語字幕化した鵜戸聡の快挙がもたらしたものでもあることは言うまでもない。