トーマス・マン『魔の山』(上)――華麗なるディスクールの饗宴

管啓次郎研究室主催長編文学読書会はトルストイのあとドイツ語圏に飛んだ(もうちょっとロシアの大地にとどまりたい気もしたのだが…)。『魔の山』(1924年)である。大学に入ってすぐニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』とともに読んだあとの高揚感を懐かしく思い出した――英雄は山を下るのだった。そのときは関泰祐・望月市恵訳の岩波文庫4分冊で第1刷が1961年。今回のテクストは高橋義孝新潮文庫上下2巻で、最近の改訳かと思いきや第1刷が出た1969年のままだった。最近の訳業は見当たらないようだ。1929年にノーベル賞を受賞した大作家のビルドゥングスロマンは、昨今では流行らないのだろうか。

新潮文庫版『魔の山』(上巻)は第1章から第5章までを収める。時は第一次大戦前。ハンブルグ生まれの主人公ハンス・カストルプはダボスの国際サナトリウム「ベルクホーフ」で療養中のいとこヨアヒム・ツィームセンを訪れるのだが、ハンス自身も体調を崩し、そこで結核療養中の人々とともに暮らすことになる。ハンスは汽船会社への就職が決まっているエンジニア、ヨアヒムは軍人である。

「ベルクホーフ」を主な舞台に展開するこの小説には、さまざまな登場人物の発言や容姿の描写を通じてヨーロッパの思想・文化の歴史が幾層にも重なりながら諧謔を交えて洪水のごとく語られ、アルプスの山中から世界が俯瞰される――ただしそれは後述するように、ヨーロッパのまなざしによる俯瞰である。同時に、20世紀初頭の最新の人文知(精神分析)や医学技術(レントゲンなど)が導入される。主人公ハンスは、下界から隔絶された場所で、世界についての広大な知の渦に巻き込まれる。サナトリウム文学から連想されがちなこじんまりした私小説的空間とは無縁の大きなスケールを本作は備えている。

この世界展望台にはさまざまな知の言説(ディスクール)の代弁者が出現し、彼らの弁舌のパフォーマンスは周到に配置、構成されている。たとえば、ハンスの質問に答えて「生命もやはり酸化作用です」(553頁)と答える医師ベーレンスはサナトリウムの最高権威であり医学のディスクールを担う。ベーレンスの傍らにいるもう一人の医師クロコフスキーは精神分析ディスクールを療養者に開陳する。レントゲンによってハンスはヨアヒムの「裸の骸骨」を覗き、「冒涜の強烈な快感と敬虔の情」を感じ、自分の手の画像を見て「自分の墓場を覗いた」ように思う(453-455頁)。そのレントゲンの場面のすぐあとに精神分析のトピックが続く流れが興味深い。療養者の一人であるセテムブリーニは「人文主義者」を自称するが(127頁)、ハンスとの会話で精神分析とは「墓穴と、その醜悪な解剖に近いものになる危険があります」と批判する(463頁)。エンジニアであるハンスは、生と死が隣り合わせのサナトリウムで展開される、従来の人文知と20世紀の科学知のディスクールのせめぎあいのなかで、精神と身体の両面において不可視なものを可視化する知と技術を体験するのである。

国際サナトリウムで療養する人々の出自はさまざまであるが、彼らにはヒエラルキーがある。たとえば、レストランでヨーロッパ人の座席に区別はないが、ロシア人に対しては「下層ロシア人」と「上層ロシア人」の席が分かれているという事実には、ヨーロッパをロシアの上位に置く文化的差別があらわれていると言える。ハンスに大きな影響を与えるセテンブリー二は「ここにはアジア的なものがありすぎる」(p.504)と述べるが、ヨーロッパ的人文知にとって「ロシア」はヨーロッパではなくアジアなのだ。ハンスが心を寄せるショーシャ夫人の容貌は「キルギス人のような眼をした」(p.335)と形容され、「アジア的」エキゾチシズムを反映した表象であるともいえる。(また、ショーシャ夫人は、ハンスが子どものときに好きだった少年プシービスラフと二重写しになっていて、先の尖った鉛筆の貸し借りといったエピソードの読解には素朴な精神分析的アプローチが可能なところだろう。)『魔の山』において、世界はまぎれもなくヨーロッパ人のまなざしから俯瞰される。

上巻で一番印象に残ったパッセージは以下の部分である。「数年前の晩夏、ホルシュタインのある湖で、夕方ひとりで小舟を漕いだときのことが思い出された。[…]そのとき十分あまり、空がひとをとまどいさせる夢のようなありさまを呈した。まだ明るく、西の空にはガラスのように冷たくはっきりとした昼の光が広がっていたのに、頭をめぐらして東の空を見ると、そこには同じように透明で実に美しい、しめやかな靄のかかった月夜があった。こういう奇妙な状態が約十五分ぐらいも続き、やがてあたりは月光の世界になっていったが、陽気な驚きを覚えながら、ハンス・カストルプは、一方の明るい風景から他の明るい風景へ、昼から夜へ、夜から昼へと、まぶし気に眼を移行させた。」(p.323-324)この昼と夜が同居する夢幻的風景描写は、この作品で対立するさまざまなふたつの世界=言説を象徴しているように思われる。西に見える「ガラスのように冷たくはっきりとした昼の光」は西欧、東の空に広がる「しめやかな靄のかかった月夜」はロシアとアジアである。さらに下巻でセテンブリーニとナフタの論争に風刺的に展開されるルネサンス人文主義キリスト教中世のディスクールの対比もこの象徴的風景描写に読み込めるように思われる。それについては次回に書こう。