ずいぶん時間が経ってしまったが、1月29日の立命館大学、西成彦先生主催「ジェノサイド×奴隷制」研究会の後半のレポートをアップしておく。
研究会後半はアラン・マバンク『アフリカ文学講義』(中村隆之・福島亮訳、みすず書房、2022年)が取り上げられた。コンゴ生まれの小説家マバンクが、2015年から2016年にかけコレージュ・ド・フランスにておこなった8回の講義をもとに執筆したHuit leçons sur l'Afriquesの出版が2020年。アフリカ人による画期的なアフリカ文学概論がそのわずか2年後に邦訳されたことは快挙である。訳者の一人福島さんによるレクチャー「植民地の遺産としてのジェノサイド」では、おもに第7講「ブラック・アフリカにおける内戦と子ども兵」、第8講「ルワンダ・ジェノサイド以後に書くこと」に焦点があてられた。マバンクがここで紹介するのがガエル・ファイユが2016年に発表した『小さな国で』(原題Petit Pays)。『アフリカ文学講義』読了後真っ先に手にしたのが、ツチ族とフツ族の抗争を描いたこの小説である。読了後言葉を失った。「奇妙なのは、大陸の歴史のこの暗い一頁を前にしてアフリカ人作家が沈黙した態度をとること」とマバンクが指摘したルワンダ・ジェノサイドの小説化に挑んだファイユは、ブルンジ共和国でルワンダ難民の母とフランス人の父のもとに生まれた。自伝的色合いの濃い本作を読むことで、ぼくは初めてツチとフツ(両者は実は異なった民族とは言えない)の抗争の悲劇を理解した。それは文学だからこそ可能になる理解である。ツチはフツとは異なり、ニグロではない、バントゥー族ではない、というツチの妄想の根源には、ベルギー領コンゴにおけるツチの優遇という分断戦略があった。すなわちこの20世紀最後のジェノサイドは植民地政策に端を発しているのである。ルワンダ・ジェノサイド以後に書くこととは、「アフリカにおいて今現在、権力を握っている者に由来する機能不全を指摘すること」(217頁)だとマバンクは説く。ウクライナの状況を目の当たりにする現在、「アフリカ」を「ロシア」に置き換えても事態はまったく同様に成立するだろう。
第3講「アフリカ文学のいくつかのテーマ系」が本書の核心部といえようか。カマラ・ライ(ギニア)の『アフリカの子』(1950)に対するモンゴ・ベティ(カメルーン)の批判的議論が興味深い。母性的、伝統的なアフリカ社会を描くライに対して、ベティはコロニアルな暴力への反乱の狼煙を掲げるべきだと説く。マバンクは植民地時代に「まとまりのあるアフリカのイメージ」を提示することがライの文学の可能性だと説くが、同感である。ちなみに『アフリカの子』の邦訳(さくまゆみこ訳、偕成社、1980年)は児童文学に分類されている。ヨーロッパの奴隷貿易に加担したアフリカ大陸の黒人による人身売買という「闇」。ヤンボ・ウォロゲム『暴力の義務』(1968年、マリ)やレオノラ・ミアノ『影の季節』(2013年、カメルーン)はこうしたアフリカの歴史の闇へと目を向ける。僕にとってミアノの仕事はとりわけ興味深い。
マバンクは、アフリカ文学を国民文学ととらえることに批判的である。アフリカ文学に内在する越境性という特質を次のすばらしい一節は示している。
「ある書物は私たちは「異郷へとずらし」、芸術はそのもののうちに非時間的な恍惚の力を宿しています。写真、書物、絵画、彫刻は、私たちがそうあるもの、私たちが〈他者〉について知らねばならないことを映し出すのです。芸術は諸々の境界線を消し去ります。・・・重要なのは私たちの能力です。ある宇宙に入り込み、私たちにそれを適用し、それぞれの記号の背後に、それぞれの色彩の背後に創作者のトランスを読み取る能力であり、そしてこのトランスは普遍的なのです…。」(158頁)