コロック:世界文学から見たフランス語圏カリブ海

世界文学から見たフランス語圏カリブ海ネグリチュードから群島的思考へ

Colloque international Les Antilles français au prisme de la litterature-monde ;
De la négritude aux pemsées archipéliques

25日と26日、日仏会館で開かれたきわめて充実したコロックに参加した。初日、フォンクアさん、ヌーデルマンさんによる基調講演。「問題としての世界/解決としての芸術」という題目がすでに、グリッサン詩学が世界に向けて発信したメッセージの核心を射抜いている。「高度必需」宣言にしても、「詩」の現実への介入こそが求められていたのだから。いま輪読会で読んでいる『トロピック』第2号(1941年7月号)に掲載されたルネ・メニルの「詩の方向」という濃密なエッセイに論じられていたのも、現実のさなかで立ち上がり、現実を補完するポエジーの必要性である。セゼール〜メニル〜グリッサンのディスクールが開いた政治=詩学の地平に立つ群島的思考は、21世紀のグローバル化する世界に、いかなる想像界をひらくのか。

ラフカディオ・ハーン再考。ニューオリンズ〜マルティニクを経て日本に漂着したハーンは、ジャーナリストの貪欲さで土地のことばを取材したのだろう。それにしても、ハーンはどこでフランス語をマスターしたのだろうか。

午後にマルティニクの音楽と料理のセッション。尾崎さんの鱈・唐辛子・砂糖の話は、僕のグリッサンと音楽の話と、世界化と土着化が対立項とはならない文化の局面を確認する作業という点で通底する。今回の発表のために、3か月近くかけてフレンチ・カリビアン音楽を中心に40枚以上のCDを聴き、グリッサンの音楽についての発言と組み合わせた。至らぬ発表だったが、2001年に加藤周一とグリッサンが対談したこの場所で、グリッサンについて話す機会をいただいたことはあり余る光栄であった。

ネグリチュードから群島的思考へ」は群島的思考の可能性を詩的に展開する重要なセッション。彼処で『ラマンタンの入り江』が引用されていた。やばい、もうやらなくては…。

夜はティポンシュをいただいていい気分になったあと、ライブ・ペインティングとギター演奏を従えたジョビ・ベルナベさんの朗読。太くすばらしい声だ。聞きにきてくれた同僚と食事して帰る。ヌーデルマンさんが新しく出されたグリッサンの評伝を買ったが、表紙のグリッサンの写真がかわいすぎ。

2日目。午前中の「フランス語圏の女性文学」はすごく興味深かった。シモーヌ・シュヴァルツ=バルトは大辻さんに早く訳してもらいたい。そして元木さんのナビのおかげでカメルーンのレオノーラ・ミアノLéonora Miano(1973- )を知ることができた。グリッサンのマルティニク・サガを読んでいだときに感じたこと、それはアフリカがブラックボックスだということだった。ベリューズとロンゴエの家系がアフリカではどうだったのか? もちろん起源神話を拒絶するグリッサン文学ではあるが、やはりアフリカという源泉への興味が沸いたのは事実だった。ミアノは、サブサハラに祖先を持ちヨーロッパに生まれた人々にAfropéen(ne)という名を与える。彼女の文学は、アフリカ側からのアフリカン・ディアスポラへの応答である。アフリカ三部作、とくに奴隷貿易の時代にアフリカの地で息絶えた忘却された人々を描いたという『深紅の夜明け』を読んでみたい。

最後のセッションでは西谷先生による世界史批判の話に聞き入った。1996年の駒場のLa modernité après le post-moderneのコロックは懐かしい。このころ、ぼくはグリッサンを読もうと決意したのだった。テクストの難解さに何度も跳ね返され、何の成果も挙げることなく過ぎて行った年月を振り返った。まあ仕方ない。できることをやって歩いていこう。

ジョビさんの朗読CDを買って、武蔵小山のその名もマルティニクというレストランで打ち上げ。アンティユ大学のマニュエル・ノルヴァさんの早口のフランス語についていくのは難しかったが、グリッサンにおけるクローデルの影響を力説されていた。『詩法』をもう一度ひも解いてみよう。今回の経験が、自分の停滞を打ち破るきっかけにならんことを願う。オールスター・メンバーの今回のコロックは、まぎれもなく、2011年震災の直前に旅立ったグリッサンへのオマージュであったのだ。