プレザンス・アフリケーヌ国際シンポジウム

 東京外国語大学で3日間開催されたが、初日22日と23日途中まで参加した。1947年にパリを拠点にアウリン・ジョップの尽力で創刊され現在まで刊行が続く黒人知識人の文化総合誌「プレザンス・アフリケーヌ」の歩みを考察する画期的な国際シンポ。とくに1955年からの第2期にフォーカスされた。1956年にはパリ、ソルボンヌで第1回黒人作家芸術家会議、59年にはローマで第2回、66年にはセネガルダカールでの第1回芸術祭が開催される。アフリカの独立、合衆国のハーレム・ルネサンスから公民権運動、カリブ海ネグリチュードなど黒人意識の高揚を支えた同雑誌の意義は計り知れない。シンポジウムと平行して開催されたパネル展示も実に興味深かった。
 初日は現編集長、パリ第4大学のロミュアルド・フォンクア氏による基調講演。黒人労働者との距離、女性作家の発言の少なさなど、雑誌のスタンスの限界も指摘された。しかしそれによって雑誌の射程もまた明らかになる。アフリカ人、ハイチ人、仏領カリブ海人というまったく出自と社会状況の異なる知識人を集わせたプラットフォーム。立花先生の発表でアウリン・ジョップとセゼールの貢献の意義を理解するとともに、黒人意識は消せるものではなくその持続のうちに未来を構想する必要があるというスタンスにまったく同調する。その消失はあり得ないからセゼールは共産党を出たのだった。その消失は文化とアイデンティティの消失であるだろう。現在の世界論にとっても、こうした歴史的軌跡の確認は欠かせないだろう。シェイク・チャムによるサンゴールとグリッサンの比較論は興味深かった。混交をあらかじめ前提とするサンゴールと予測不可能な混交を原理とするグリッサンとのコントラスト。
 2日目では、中村さんによる「国民詩論争」のじつに手際よい解説。アラゴンに応答するドゥペストルを批判するセゼールから、アフリカ語で書けない苦境のなかでやはり形式が内容を左右することを自覚するシェイク・アンタら(でよかったか?)。主体形成とランガージュ形成とが表裏一体の切実な問いであったことを確認する。廣田さんによるセゼール・グリッサンのpolitique/poétiqueの比較は密度が高かった。どこまでがpolitiqueでどこからがpoétiqueなのか。かつてデリダはグリッサンのpoétiqueをpolitiqueと呼んだらどうかと発言したことがあったことを思い出した。松井さんによるジョゼフ・ゾベル「黒人小屋通り」はおもしろかった。1人称の語りにおけるintersubjectivitéの問題。ユーザン・パルシーが「マルティニクの少年」として映画化したこの小説。読んでないのだ。読まなきゃな。