マルティニクの現在

 昨日、夕方から、早稲田大学現代フランス研究所主催のワークショップ。タイトルは「フランスとカリブ海を学ぶ――戦後70年、マルティニク島の変貌」。まずは塚原史先生のイントロ。1941年、ブルトン、ラム、レヴィ・ストロース、セルジュらを乗せた知識人亡命団がマルセイユからニューヨークへ向かう途中マルティニクに寄港。ブルトンとシュザンヌ&エメ・セゼールとの出会いである。ブルトンle dialogue créoleに描かれたマッソンの挿絵を見ながら「すべてを再創造しよう…世界の強大な統一からは耐えがたい欠陥しか生じない」をいうフレーズを噛みしめる。まさに今の現状にそのまま差し向けられる言葉ではないか。そしてMartinique charmeuse de serpentsの有名な一節「エメ・セゼールの言葉は生まれ出る酸素のように美しい」。昔フランス語で読んだ『蛇使いの女』。たしかあったはずのテクストが書架に見当たらない。でもよい邦訳が出たようなので、そちらで読みなおそう。
 つぎは立花英裕先生。マルティニクの自然と社会について概観。先住民であるアラワク族、デズナンビュックにより1635年仏領化、第2次大戦のロベール提督時代、20世紀における多くの文学者・知識人の輩出―――セゼールによる黒人「国民文化」のプロテスト、そこから「世界の歌」へ向かったグリッサン、シャモワゾーらのクレオールナショナリズム独立運動家アルフレッド・マリ=ジャンヌ。とくにセゼールに多くの時間が割かれた。詩とは自己の存在を歌うことである、と詩人セゼールは言う。意味の立ち上げを目指す言語活動。『帰郷ノート』の一節は子供たちも暗記しているのだそうだ。フランス共産党からマルティニク進歩党(1956年)へシフトした政治家セゼール。戦後の社会動向やプロテストも想起された。1959年のクリスマス暴動。グリッサンも加わった1961年パリにおけるアンティル・ギュイヤンヌ戦線の企て。グリッサンが直面したのはプランテーション社会からスーパーマーケットに象徴される本土の消費社会の強制への推移だった…。
 ルイ=ソロ・マルティネル先生は1794年と1848年の2度の奴隷制廃止を軸に、黒人の反抗、記憶、意思表明の歴史を語った。1998年の奴隷制廃止150周年の祝典がもっぱらシェルシェール賞賛に終始したという限界。同時に行われた、名もない奴隷の子孫たちによる無言デモ。「逆向きの奴隷船」BUMIDOM(島の若者にフランス本土への片道切符を配布する移住政策)のこと。そして2009年の大規模ゼネスト。マルティニクの未来とは? 2015年末にマルティニクはCollectivité unique(単一自治体)という、グアドループともレユニオンとも異なる新しい行政上の地位を得る。それによってマルティニクはどう変わるのか…。
 最後に登壇したマルティニクからの研修留学生デボラさんと日本・マルティニク・グアドループ友好協会のレジナ・フランソワさんのお話しからはマルティニクの現状が伺えて貴重だった。デボラさんは、バカロレアとその後の高等教育の複線的進路について話してくださった。リセの生徒たちの島での生活がパワポで紹介されて明るい気持ちになった。カリブ海スタディはともすれば植民地主義批判に重心が置かれて暗くなりがちだが、こうした現在を生きる若者たちの映像はフレッシュな空気を運んでくる。アメリカ化嗜好が進む若者文化。一方で暴力、シングルマザー、バカロレアBTS(就職に直結する専門学校)に進んだ生徒たちの就職難など、現代の問題も報告された。デボラさん自身もビジネス・スクール生だそうだ。就活、がんばってください。島の若者がほとんど集まるというヨール(ヨット)祭を見に行きたいと思った。レジナ・フランソワさんが語られたクレオール語の現在についてのお話しも興味深かった。クレオール語のフランス語化、生活全般でのフランス語使用の浸透、それと同時に学校で学習する言語としてのクレオール語(2013年では島内の20校でクレオール語が学べる)。「クレオール語は奴隷たちがコミュニケーションのために苦しみのなかから作った天才的な発明品。それは平和の言語なのです」ということばが力強かった。マルティニクの単一自治体化によって、カリブ海地域の外交が新たに展開することをレジナさんは期待している。最後にマドラス織の衣装に着替えたデボラさんが、アイデンティティの話題になったとき、きりっと言い放った言葉も印象的だった。「私たちはマルティニク人です、フランス人でもあり、国際人でもあり、そしてマルティニク人なのです」。この順番に大きな意味があると思う。
 とても新鮮なセミナーだった。通訳までこなされた立花先生、お疲れ様でした。打ち上げに出られなかったのが残念でした。前回マルティニクに行ったのは2009年。あらたな胎動がありそうなマルティニクにもう一度行く機会はあるだろうか…。