キース・ジャレット『クリエイション』

 キース・ジャレットの新ソロ・アルバム。2014年の4月から7月にかけてのツアーのなかから、トロント、パリ、ローマ、東京での2つのコンサートがピックアップされ(東京のライブは聴きに行った)、ショート・ピースからなる新たな即興組曲として編集された作品である。こうしたアルバム構成の作品は今まで見られなかったものである。聴いてみると、まず無調でエネルギーの塊が繰り出され、次にリズムあるブルージーなムードとなり、対位法的なジャズバラードが来てhymnへ向かう、といった最近のコンサートの展開とは趣を異にしている。今までのパターンに余りはまらないピースが多く選ばれ、収録されているのだ。アルバムが『クリエイション』と銘打たれた理由はその辺にありそうだ。以下、印象メモ。

 第1即興(トロント)。ドビュッシーの「沈める寺」を想起させる音楽。ペダル・トーンの上に終始規則的に打ちこまれる垂直的な和音の音程は次第に変化し、高音域に推移しながらゆるやかに広がる。薄暗がりに光が明滅する静かなラメントあるいは祈り。このムードがアルバム全体を包んでいる。
 第2即興(東京・紀尾井ホール)。Hの音を軸とした2音の戯れが雨だれのようなかわいらしいモチーフとなる。旋律は次第に多声的になり、音域を広げる。聴き手は風にそよぐ花畑に包まれる。
 第3即興(パリ)。ジャズ風のテイストがかすかに感じられる唯一のトラック。トリオ演奏でバラードのイントロで聴かれるキースのクリシェ的パターン。垂直的なコードの束はただちに水平的な対位法的進行へ変貌する。全体はおどろくべき構成力によって引き締まっている。
 第4即興(ローマ)。冒頭のF-F#-G-F#のターンからモチーフが形成され、中近東風のスケールが弾かれ、アランフェスのメロディの断片が差し挟まれる。マイナーのラメントはときおりドラマティックなコードチェンジや自由な調性のシフトのなかで表情を変え、後半でメイジャーの雰囲気に変化して、静まる。
 第5即興(紀尾井)。スクリャービン前奏曲を思わせるトレモロが敷き詰められる短い序奏に続いてプレーンなhymnのテーマが提示される。歌謡曲のようなシンプルなメロディ。全盛期のような激しい高揚はなく、しみじみと静かな情感が広がる。心のこもった旋律演奏。
 第6即興(東京・Bunkamuraオーチャードホール)。上行のアルペジオの閃光が広い空間を点描し、ゆったりとしたオスティナートの上にメロディがまさぐられる。ふとアルヴォ・ペルトの音楽を思い出す。メロディの反復、堆積はゆるやかにクライマックスへ向かい、冒頭のアルペジオを回想して終わる。クラシカルな展開。
 第7即興(ローマ)。冒頭70年代の強迫的オスティナートを思い出させるリズム音形は高音域に移り、低音にメロディが出てゆったりとしたストリームとなり、なかほどから多声的な変化がみられる。終始、薄いもやのなかを進んでゆくような神秘的ムードにつつまれた音楽。
 第8即興(ローマ)。半音階的フレーズがどこへ向かうとも知れず進んでゆく。プロコフィエフ的な響きも聞こえる気まぐれな音楽。最後はひとつのモチーフにたどり着いて終わる。
 第9即興(オーチャード)。おだやかなhymnのような出だしだが、響きは半調色を帯び、調性もときにフローティングして、ストレートに昇華することはない。さまざまなアイディアが展開される、キース・ジャレット・ミュージックの現在の到達点を示すトラックだといえるだろう。
 
 全篇を通じて、かつてのほとばしるエネルギーやエクスタシーの表出は聴かれない。そこにアーティストの年齢的限界を指摘する向きもあるだろう。たとえばThe telegraphでは"pallid"と酷評されている。
http://www.telegraph.co.uk/culture/music/worldfolkandjazz/11598044/Keith-Jarrett-Creation-album-review-pallid.html
しかし決して音楽があからさまな高揚をみせないからといってそれを退屈ととるのは早計であるように思われる、繊細で充実した音楽――西洋音楽の比喩ばかりになってしまうが、たとえば晩年のブラームスの小品を聴くような充実感――がここにはあるとぼくは思う。