keith Jarrett Trio/ Somewhere

キース・ジャレット・トリオの新譜を聴く。2009年のスイス、ルツェルンでのライブである。高齢の3人、5月にこのトリオの「日本最終公演」があることを知った時にはチケットはとっくに売り切れていた。夜、スピーカーの前に座ってじっくり聴いた。往年のパワーや緊張感は影をひそめているが、これはまぎれもない傑作だった。一言でいえば「自在」。3人が音を出す行為をいつくしんでいるような時間の流れがある。このトリオが今まで生み出してきた、時に息苦しさを覚えてしまうほどタイトな定量リズムの呪縛から逃れた音楽の、何とのびやかなこと。
バーンステインのSomewhereから拡張されたキースお得意のエンディング・リフ(Everywhere)へと進行していったとき聴衆がひきつけられたのは、どうやって終わるのかという点だ。3人はグルーブを共有しながら息を合わせて、見事に終止させた。だが、タイミングの妙だけがその音楽の本質ではない。いかにシンプルなエレメント(音の運び、リズム...)だけで豊かな音楽が成立するかといった見本がそこにあった。
最初の無調のイントロDeep Spaceからマイルス作のカレイドスコープのようなSolarへの流れも自在の極致だ。このSolarのインタープレイはおそらくこのトリオの録音から今まで聴かれたことのないものだ。すばらしいの一語につきる。Deep Spaceの出だしは最近のキースがよくやるアブストラクトな即興。それはいつも、混沌へと沈む一歩手前に踏みとどまる最晩年のモネの睡蓮を思い出させる。