死者たちの夏2023

せんがわ劇場に3日間通い詰めた。西成彦先生を実行委員長とする、立命館大学「ジェノサイドと奴隷制」研究会と演劇ユニットLABO!による「死者たちの夏2023」である。

6月9日(金)音楽会

イディッシュ・ソング、朝鮮歌謡、南米の抵抗歌などが歌われた。不覚にもこの日のプログラムを紛失して詳細を記録できないが、イディッシュ語ポーランド語、英語、うちなーぐち…いくつもの言語で歌われたこぐれみわぞうさんの表現力は驚異的だった。ちんどん太鼓はなんと表情豊かな楽器であろう。大熊ワタルさんのクラリネット(特にバスクラ)も素晴らしかった。アンコールで登場した、たまたま来日中のクレズマーの歌い手さんとこぐれさんの掛け合いもよかった。今日の収穫は、クレズマーを聴き直そうと思ったこと。そしてジェフスキーの「不屈の民変奏曲」を聴くこと、できれば高橋悠治さんのピアノで。

6月10日(土)朗読会

ホロコーストの記憶と闘い、と銘打たれた朗読会はミウォッシュの「カンポ・ディ・フィオーリ」で幕を開けた。コペルニクスの地動説を擁護したために教会と対立し花の広場で焚刑に処せられたジョルダーノ・ブルーノと民衆の生活の対比がゆるやかなリフレインに乗って立ち上がった。いくつものテクストが演じられたが、とりわけ強烈に印象に残ったのは、シャルロット・デルボーの「マネキンたち」と李良枝の「かずきめ」。3日間キーボードを担当された近藤達郎さんの音楽とテクストとの協働が驚くべき高みに達していた。ミウォッシュを読もう。

6月11日(日)朗読会

ポストコロニアルを生きる道と銘打たれた最終日、圧倒的だったのは目取真俊の「面影と連れて」とグリッサンの「苦しみの台帳」。目取真のテクストは沖縄の悲劇を一人の亡霊が語る。グリッサンのテクストは奴隷制の悲劇を一人の女奴隷の子殺しと狂気のエピソードとして神話的スケールで展開する。

演劇ユニットLABO!のパフォーマンスによって声を与えられたテクストたちは忘却された過去を沈黙の闇から浮上させた。戯曲ではない文学テクストがこのようなかたちで放つエネルギーに驚愕した。

お盆は先祖の霊と再会するときである。関東大震災朝鮮人虐殺から100年を経た今年、せんがわ劇場に集ったわれわれもまた死者と再会した。だがその死者たちはみな痛ましい最期を遂げていた。この3日間は、奴隷制アウシュビッツヒロシマナガサキルワンダ内戦…さまざまな時空を結んで、人間が生み出してしまった夥しい虐殺の犠牲者と再会する儀式であった。死者は生者に語り掛ける。それは文学と芸術によってのみ可能となるコミュニケーションでありコミュ―二オンである。別の時空にいるわれわれは、戦争や虐殺を、俯瞰ではなく接近によって、システムの読解ではなく人間個人の物語に寄り添って、犠牲者の立場から追体験する。そのようにしてわれわれの時空は拡張され、過去と現在は通底する。

疲労困憊して劇場をあとにした。だがなぜか体内にエネルギーを感じる。不思議なことだ。