ロマとグリッサン

  10月3日にワールド・シネマ研究会で取り上げたロマ(ジプシー)関係のノートを整理している。ロマという人々は「交通」のなかにしか存在しない。さまざまな場所で、自分たちより長くそこに住んでいる人々から迫害を受け続けてきた民。トニー・ガトリフの傑作『ぼくのスィング』で、死んだマヌーシュ・ギタリストが住処としていたトレーラーが彼の財産ごと燃やされる映像に象徴されるように、過去・未来がなく常に「現在」に生きる民。ロマの民の物語はいつも、「場所」を強烈に相対化させ、ひとつの文化がひとつの場所を占めることの意味を反省してみよと迫る。エドゥアール・グリッサンという作家はそうした問題を引き受けてきた。人の生きるあらゆる場所、文化的トポスが常に複数の力の関係によってしか成り立たず、さらにそれらのトポスを関係づけて把握しようとするグリッサンのエクリチュールの冒険は、「文学の世界化」という21世紀的なパースペクティヴを提示した先駆的な仕事であるといえるだろう。そうした作家が、ロマというトランス・ナショナルなアイデンティティの現実に着目するのも当然である。グリッサンのロマについての発言は、『多様なるものの詩学』88頁に見られる。