ASLE-Japan大会(2) フランス語圏パネルなど

 翌日、23日はフランス語圏パネル。タイトルは「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」。まずは鵜戸聡さん。カテブ・ヤシンに描かれるアルジェリアの環境。驟雨のたびに流れをとり戻す「ウェド」(ワジ)は死と再生の象徴である。はるかに古代ヌミディアまで遡行されるアラブ=ベルベルの土地の記憶。都市は永続するが名前は付け替えられていく。枯れては溢れる水の反復するモチーフは常態/変化といった両義性の象徴である。(カテブにとってセイブース川はその変貌の相が幻視されるのに対して、グリッサンのレザルド川は山からデルタへ複数のトポスをつなぐパサージュとしてなぞられる、とでも言えようか。)もうひとつの両義的象徴は「鷲」。ケブルートの故郷ナドールにおける部族のトーテムであると同時に抑圧のシンボル、さらに、自由の象徴、環サハラ世界の連続性のイメージをも担うという。『ネジュマ』は鵜戸聡の新訳がでたら読もう。(小諸まで高速を、カテブの息子アマジーク・カテブ率いるグナワ・ディフュージョンの『ズーク・システム』をガンガンかけながら走ってきた。カスタネットのようなシンバル(?)カルカブが醸し出す「グナワ」の強烈なトランス感覚。久しぶりに聴いてみて、改めてあのバンドの音楽的完成度にノックアウトされ、2006年の渋谷のクワトロ・ライブを思い出した。)
次の笠間直穂子さんの発表で、スイス・ロマンドの作家、シャルル・フェルディナン・ラミュ(1878−1947)を知る。標準的な書き言葉の作法から逸脱して話し言葉に接近する文体(身ぶり=言語langue-geste)。『民族の隔たり』(1923)におけるon va〜の多用による語りの集団性。アルプスの土地と風景に出会った。ラミュを読もう。(そしてマリー・ンディアイも。)それからストラビンスキーの『兵士の物語』のロシア民話のテクストもラミュの筆によることを知った。この曲は聴いたことがない。最晩年のコクトーがナレーションを担当したマルケビッチ盤でも探すとしよう。
 つづいて大辻都さんのちびジャン民話と塩鱈の話。塩鱈といえば、カリブ海文化研究者であれば、なによりもまず、あの忌まわしき三角貿易において奴隷船に積み込まれた奴隷たちの食料を連想する。ところでカナダ東部のニューファンドランド島(テール・ヌーヴァ)は古来よりタラの漁場として有名であり、この一帯がフランス植民地になった16世紀からはフランス人が漁に進出し、ブルターニュ、ノルマンディ、バスクなどフランス北西部から漁師が出稼ぎに来るようになった。その鱈は奴隷船に積み込まれた。アンティユ諸島では、干し鱈はいまでも日常食であり、鱈のすり身を揚げ団子にしたアクラは有名である。さて、クレオールの民話に出てくる機知と計略でアクラ団子を別の財に交換しながら最後に富を得る「ちびジャン」の話。ちびジャン民話はブルターニュやカナダにもあるのだという。だとすれば、鱈といっしょにちびジャン民話は海を渡り、フランスから新世界に受け継がれたと言えそうだ。シャモワゾーのVeilles et merveilles créoles(2013)を読まなくちゃね。最後にぼくの発表はグリッサンの評論『ラマンタンの入江』をとりあげた。奴隷貿易カリブ海アメリカに渡った黒人の側から発せられる世界論。受難の文学、世界のクレオール化、震動の思考、節度逸脱の美学といったタームでグリッサンの思想を紹介した。時間と準備不足であまり踏み込めなかったが、グリッサンは80年代からユネスコ機関誌の編集に携わっている。ユネスコでの仕事が彼の世界論の発展にどれほど影響を与えているのだろうか。70年代からユネスコは環境問題についてなされたさまざまな提言を行ってきた。たとえば、1972年、ルネ・デュボスらが加わったストックホルム国際会議で提唱された"Think globally, act locally"という標語をグリッサンは反復し(lieu-common)、80年代に提唱された「生物多様性」の概念はグリッサンの「全−世界」のビジョンと共振しているといえる。グリッサンの思想のエコロジカルな側面について今後考えてみたい。
 この日の発表のなかでは、青田麻未さんによる北米環境美学のアレン・カールソンの紹介が興味深かった。自然の美的鑑賞、理想的鑑賞者としての科学的知識を身に付けたネイチャー・ライター。しかし、静態的分析とともに、自然に分け入り動き回るための実践知もまた自然の美的体験には必要だろう。たとえば、登山という行為が孕む動的なポイエーシスを想起してみるとよい。また上野俊哉先生のエコソフィーについての講義から多くを学んだ。DGの「人間は動物になる」というテーゼが示す生成変化と脱領土化のアスペクト。人は変わるのだ。ガタリの『三つのエコロジー』をちゃんと読もう。ガタリとグリッサンの接点をもう一度考えるために。最後のシンポジウムの小金万理恵さんの発表で取り上げられた宮沢賢治の「心象スケッチ」にはっとさせられた。自然のなかを歩くと歩く人は変わるのだ。たしかに。
                       ★
  ASLEを終えて、今年の夏も終わった。ラマンタンと付き合った8月だった。小諸にもう1泊して、翌日Uくん、Kさんと懐古園を散歩して藤村記念館を訪れた。そのあと釈尊寺(布引観音)に立ち寄る。牛に引かれて善光寺参りの出発点。急坂を息を切らして登ると、岸壁に貼りつく観音堂が現れた。見事な眺め。ここは足を伸ばす価値がある。(9月6日記)