サン=ジョン・ペルス『鳥』

サン=ジョン・ペルスの詩集『鳥』を、フランス語のテクストに有田忠郎訳を照らし合わせながらじっくりと読んだ。グリッサンの評論『ラマンタンの入江』のなかで、なぜか『鳥』への言及がないことがずっと気になっていたからだ。グリッサンにとってペルスは最重要詩人の一人であり『ラマンタン』のなかでもペルスの主要作品がいくつか論じられているのだが、なぜか『鳥』だけが欠落しているのだ。読んでみて、なるほどと思った。
 ペルスの「鳥」は晩年のジョルジュ・ブラックが制作した石版画の「鳥」シリーズの図録に掲載されることを目的に書かれた。ペルスとブラックを引き合わせたのはジャン=ポーランである。ペルスは個々の種類の鳥ではなく飛翔する鳥の原型を描くブラックの仕事に共感してこの長詩を書いた。そこでブラック−ペルスは群れではなく個体としての鳥へと注目する。グリッサンはもちろんペルスの『鳥』も読んでいただろう。そして、おそらくペルスとは違った角度から鳥を見ていたのだ。それは『ラマンタン』冒頭に登場する、あの「無限定な鳥」の群れのイメージである。グリッサン詩学の基本的な特徴のひとつは、個物の境界のあいまいさがもたらす豊饒さである。グリッサンは閉じた存在を嫌う。彼の視線はつねに他者との関係に開かれてある存在様態へと向かう。鳥へのまなざしも、グリッサンにとっては普遍的原型的な鳥の個体ではなく、変幻自在にその姿を変える鳥の群れや、単独でもその同定がかなわぬ鳥(モンショワシーのゼミ鳥やコエ)へと向かう。グリッサンはきっと、ペルスが言挙げする「原型の鳥」に触発されて、自分の視点で鳥の複数性の詩学を書いたのだろう。震動の詩学をひらいたグリッサンのテクストのあちこちに鳥たちが飛び回っている。
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ペルスのノーベル賞記念講演のテクストも再読。そう、こんな力強い言葉もあったのだ。
「芸術を生命から、認識を愛から分離することを拒む、すなわち詩は行為であり、力であり、そして常に限界を拡げてゆく革新であります。愛はその中核、不服従はその掟、そしてその領域は、すべてに先駆けるところ、あらゆる場所にあります。詩は不在や拒否であることを決して欲しないのです。」