痕跡とライン――グリッサンとインゴルドをめぐって

5日、東京発16:17のぞみ49号で京都へ。19時前に到着。寒い。ホテルにチェックインしてロビーでみんなと待ち合わせ。そのあとホテル近くの居酒屋で「打ち合わせ」。6日、バスで京都造形芸術大学瓜生山キャンパスへ。11時に第2回フランス語圏文学研究会の発表会スタート。トップバッターの僕は、今回は「痕跡とライン」と題してグリッサンとインゴルドを重ねて論じた。テクストはグリッサンの『全‐世界論』とインゴルドの『ラインズ』。まず下道基行の『Torii』をみながら、境界の外に残る「痕跡」としての鳥居を考えてから、グリッサンの詩学の隠れた重要タームであるtrace(痕跡)へと向かう。『全‐世界論』のなかからいくつかのテクストを引用しながら、領土となることはないまま大地に刻まれる痕跡を追う。traceは明瞭なtracéではない。しかしその消えかかったしるしは強烈にヒトの移動の軌跡を指し示す。それらが混じり合って生成するジャズやクレオール文化。グリッサンはいくつもの痕跡を辿りながら世界を錯綜の相として把捉せんと試みる。「関係の詩学」を成立させているのは、こうした痕跡を追跡する眼差しに他ならない。翻ってインゴルドの『ラインズ』は、文化人類学という、あくまで「物質」を対象とする学問のアプローチから、ヒトの生活の根底にかかわる「ライン制作」という活動を追跡する。インゴルドはグリッサンを知らないのだが、植民地主義ストーリーテリング、場所論といったテーマを論じるインゴルドは、何とグリッサンと共鳴することだろう(たとえば「関係とは、すでにどこかの場所に置かれてある存在どうしの連結ではなく、生きられる経験のメッシュワークのなかの一本のラインなのである」というインゴルドの一節。)その理由は、二人の思想がドゥルーズを共有しているからであり、ベルクソンの圏域にあるからだろう...。今日の発表もちゃんと文字にしなければ。
 昼から雪まじりになった。午後には西成彦先生が立ち寄って下さった。富山や名古屋や鹿児島から参加してくださったメンバーや聴講してくれた方々に感謝します。ランチタイムには大辻さんの根城yoyo館についに踏み込んだ。いいところだなあ。