ASLE-Japan大会(1) 今泉先生からシートンのお話しを聴く

当日の朝まで準備に追われた。ルネ・デュボスの何冊かの著作に目を通し、猛烈な残暑の太陽が照りつける上信越道を飛ばして、汗だくで小諸の安藤百福研修センターに到着したときにはすでに15時半をまわっていた。山林に囲まれたウッディでモダンな施設である。会員資格で初めて参加する環境・文学学会。16時から今泉吉晴先生による基調講演「シートンの知られざる偉業」を拝聴する。人は動物をどうやって知ることができるのか。見るために殺す博物館によってか? 見るために生捕る動物園によってか? エマーソンとソローに学んだイギリス生まれの北米のナチュラリストシートン(1860−1846)は、獲物を撃たずに注視する。動物を見ることは、動物の生活の跡を見ることである。今泉先生は、とりわけシートンの動物の絵の巧みさに魅せられる。動物を見ていない人に動物の絵は描けないからだ。生きる意欲を失った実験動物を用いた分析の貧しさ。動物の暮らしを見ずに生態系を考えることのつまらなさ。今泉先生は野生動物との出会いを求めて、岩手に山小屋を建てる。そして野生動物と出会うために、向こうにもこちらにも良い環境を整える。リスの道をうまく導けば、野生のリスは家屋のなかに入って来る。都会で出会える野生動物もいる。モグラである。野生動物の軌跡を追うこと…なんだかインゴルドのライン論やグリッサンの痕跡論とつながっていく。woodcraft(森で生きる技と知恵)を追求し「動物の個性」を描こうとしたシートンは「動物文学の父」であると同時に『狩猟獣の生活』を書き、K・ローレンツの動物行動学にも影響を与えた。
今泉先生はアカネズミが巧みに穴をあけたクルミを聴講者に配ってくれた。それを眺めながら、なんの脈絡もなく、とあるハイキングの出来事を思い出した。天城山だったか、黒川鶏冠山だったかよく覚えていないが、先頭を歩いていた息子が突然あわてて戻ってきた。その先に目を向けると、山道のまんなかで小鹿がこちらをじっと見つめている。一瞬の後、小鹿はじけたように山腹を駆けあがっていった。その先には大きな2頭の鹿がいた。3頭はいっしょに沢筋に消えて行った。ぼくらと同じ3人連れだったね、と頬を紅潮させた息子はつぶやいた。鉢合わせになったとき、子鹿は草をむしゃむしゃ食べていたのだそうだ。子供どうしの遭遇。向こうもさぞ驚いたことだろう。疾走する野生の小鹿の爆発的なエネルギー…。今晩は研修センターの4人部屋に泊まる。