『トリスタンとイゾルデ』2

 ワグナーの『トリスタンとイゾルデ前奏曲冒頭の有名な「トリスタン動機」。キーボードで弾いてみるとスムーズな半音階的進行が気持良い。ジャジーな響きだ。しかし2小節目のヘ-ロ-嬰ニ-嬰トの和音が「イ短調上のドッペルドミナント」だとする説明は譜面を見ただけではさっぱりわからない。ロ音上の7の和音を想定するならばボトムのへ音は何? いろんな解説をよく読んでいくと、ボトムの嬰ヘ音が次のホ音への進行を半音階的にするために半音下げられたもの、と分析するらしい。うわ、そういうのありなのか...和声学初心者にはとうてい理解できないレベルの話でした。トリスタン和音についてはいろいろな解釈があるようだ。そもそも「機能和声の崩壊」とされる一例だから、それまでの理論でうまくいかないのも当然だろう。コードシンボルを使えばF dim 7→E7となるのかな。
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 ライトモチーフのなかでとりわけ印象深いのが「愛のまなざしの動機」のなかで、符点のついたリズム音形が3回繰り返されて上行したあとに来るト-ハ-変ロの動きである。近代への扉をひらく斬新な響きにみちたトリスタンの音楽のなかで、この音の動きだけがタイムマシンで時間を逆行したかのように大時代的でむせぶように甘い。「愛の眼差しの動機」は他のライトモチーフ同様、前奏曲だけではなく劇のあいだ何度も出現するのだが、劇的なのはトリスタンが息をひきとる場面である。イゾルデの腕のなかでトリスタンがこと切れるとき、メロディはまさにト-ハ-変ロと進みカタルシスの頂点であるべきところで消失して音楽は停止する。その瞬間、メロディは永遠の重みを与えられる。ひっそりとしたゲネラル・パウゼは、『マタイ受難曲』においてゴルゴダの丘でキリストが死ぬ瞬間の音楽の全停止に匹敵する沈黙を生む。
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 ところで、ワグナーによるエロスとタナトスの神話の背後に控えるマルク王の存在を無視することはできない。マルク王は自分を裏切った妻と甥を許し二人の墓を建てる(ベディエ)。それによって危機にさらされた王の位置は威厳を回復するのである。エドゥアール・グリッサンは西洋の「悲劇」の構造的特徴として「正統性」の自己保存の問題をはらんでいる点を指摘する。オイディプスにせよ、ハムレットにせよ、前景化する個人の物語の背後に、危機にさらされた血統や王家といった社会的秩序が最終的に維持される特徴を示している。近代に音楽や文学の枠のなかで再構築されたトリスタン伝説もまた、そういった一例であるようにも思える。