チェスター・ハイムズの亡霊1

 もはや旧聞に属しますが、6月8日の図書新聞(3113号)にダニー・ラフェリエールの『ニグロと疲れないでセックスする方法』の書評を書かせていただきました。よろしければご覧ください...。ところでラフェリエールを読んでいて気になったのがチェスター・ハイムズ。この2,3カ月のあいだにたてつづけに読んだ。ハイムズは1909年に合衆国ミズーリ州ジェファーソンに生まれ1984年にスペインで亡くなった黒人作家である。大学を中退し、強盗の罪で19才から8年間の刑務所暮らし。1940年代にロサンジェルスに住み、造船所に勤めたりしながら映画のシナリオなどを書き、1945年If He Hollows Let Me Go『わめいたら放してやれ』で注目される。まずこれを読んでみた。テクストは2010年にSerpent's Tailから出たペーパーバック版。60年代終わりから70年代半ばまで日本でよく翻訳されたが、なぜか本作は訳されていない。造船関係の語彙や舞台となるドック内の様子の細かな描写がわかりにくいからだろうか。
 第二次世界大戦中の西海岸の造船所につとめる主人公の黒人労働者ボブは、白人女性労働者からレイプの濡れ衣を着せられ逃走する。人種差別に傷ついているボブの姿にはチェスター本人の人生が刷り込まれているだろう。「逃亡するイノセントな黒人」は彼の創作のなかで繰り返し現れる主題である。「なぜ逃げるのかも忘れていた。ただ走る。ハンドルを握って、世界の果てまで霊柩車を走らせているような気持ちだった」(p.160)。派手なカー・チェイスの描写はチェスター文学の真骨頂のひとつといえるだろう。
 作家は50年代にパリに移住する。そしてガリマールでSérie noireシリーズを立ち上げたマルセル・デュアメルのすすめもあってハーレムを舞台にしたハードボイルド連作を発表し、フランスで名声を得ることになる。先に仏訳が出てからアメリカで発売といったパターンも多かった。犯罪・麻薬・暴力・性が前面にでてくるチェスターの作品はアメリカでは長らく不評だったという。棺桶エド&墓掘りジョーンズという荒くれ黒人刑事コンビが活躍する「ハーレム・クライム」シリーズは8作書かれた。ぼくが読んだのはそのうちの5冊。
 まず『イマベルへの愛』(原作1957年、尾坂力訳、早川書房)。これはのちにA Rage in Harlemと改題され1991年映画化された。コクトーの絶賛を受け、1958年フランス推理小説大賞をとる。葬儀屋に勤める素朴な黒人店員ジャクソンはにせ札造りの詐欺に遭って財産すべてを失う。そのうえ混血の恋人イマベルまでが詐欺師たちのグループと消えてしまう。窮地に陥ったジャクソンは店の霊柩車を奪って逃亡するはめに...。本作にも、車で逃亡する黒人のパターンがあらわれる。チェスター・ハイムズのストーリー展開にはいくつもの枝葉があって錯綜としていつも追うのに苦労する。イマベルはファム・ファタルの典型だ。
 次の『リアルでクールな殺し屋』(1959年、村社伸訳、早川)は、クラブでジョー・ターナーが「ディンクス・ブルース」を歌う出だしがいい。靴磨き屋のソニー・ピケンズは白人殺しの事件に巻き込まれ、チンピラギャング団〈リアル・クール・モスレムズ〉にさらわれる。犯人は誰なのか? 捜査が進むにつれ、被害者の行状があきらかになり、意外な関係人物が浮上してくる...。ただしこの作品でエドとジョーンズはいくらなんでもやりすぎだな。
 シリーズ6作目にあたる『ロールスロイスに銀の銃』(1965年、篠原慎訳、角川書店)は1970年に映画化され、同じタイトルで1971年に邦訳が出た。原題はCotton Comes to Harlem。映画を見ていないからわからないが、原作にはロールスロイスは出てこない。邦題はのちに『聖者が街にやってくる』と改題された(1975年)。これはめちゃめちゃ面白い。イカサマ神父オマリーは、マーカス・ガーベイをヒントに〈アフリカへ帰ろう〉集会をひらき、人々から旨い具合にお金を巻き上げている。ところが、その集めた金が何ものかによって奪われてしまう。いっぽう白人のカルフーン大佐は〈南部へ帰ろう〉キャンペーンでオマリーの向こうを張り、悲惨なアフリカではなく魂の故郷南部へ帰ろうと黒人たちを扇動する。犯人は誰か。お金はどこにいったのか。大きな綿の包みを拾ったくず屋のアンクル・バドの逃亡が笑える。
 チェスター・ハイムズの文学にはどこかカリカチュアめいたところがあり、また民話的なストーリーテリングがあるようにおもわれる。しかし距離を隔てているからこそ客観的なハーレムの黒人社会の同時代レポートともなりえている。そして遥か彼方から弱い立場にある同胞に向けられる作家の視線はいつも暖かい。