『トリスタンとイゾルデ』1 

 ヨーロッパ中世でもっとも名高い恋物語、世の掟も理非分別も超越して愛し合う情熱恋愛の神話、とは岩波文庫のカバー・コピーだが、多くのロマンスの例にもれず、本作にもさまざまなテクストのヴァリアントがある。ケルト起源とされるトリスタン伝説の現存する最古のテクストのひとつは、12世紀フランスの物語作者ベルールによるもので粗野で荒削りな魅力の「流布本」系統の代表作、もうひとつは同時代イングランドのトマによる洗練された風雅体のテクストでこちらは「宮廷本」の代表作とされる。さらに13世紀に入るとトマを下敷きにしたドイツのミネジンガー、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルグによる叙事詩があらわれる。ワグナーが用いたテクストはシュトラスブルグのクルツによる現代語訳(1847年)であり、それをさらに大胆にカットして自らの音楽劇の台本とした。渡辺譲氏によれば「ワグナーの《トリスタン》はきわめてたくみなアダプテーション」であり、「シュトラスブルグ作の題材をワグナーがいかに単純化したかは、驚くべきものがある」。
 ワグナーの『トリスタンとイゾルデ』は1859年に完成された。『指輪』という壮大な仕事の「息抜き」として構想された本作は、結果として3幕構成、上演時間4時間の大作となる。ヴェーゼンドンクとの不倫関係、ショーペンハウエルの『意志と象徴としての世界』、シュレーゲルやノヴァーリスなどドイツ・ロマン派の愛死の思想などが作曲過程に影響を与えた。イギリス南西端のコーンウォールを治めるマルク王の使いとして、王の結婚相手であるイズーをアイルランドに迎えにゆくトリスタンは、あやまって媚薬を飲んだためにイズーと禁断の恋に落ちる。ワーグナーはトリスタン伝説を、トリスタンとイゾルデとの空前絶後のメロドラマに仕立てあげた。恋人たちの心理の襞を表現する音楽効果は絶大である。敬愛するカルロス・クライバードレスデン国立管弦楽団を振った1980-82年の録音を聴いてみた。言わずと知れた名盤である。しなるムチのようにドライブするオーケストラのパッセージ。トリスタンはルネ・コロ、イゾルデはマーガレット・プライス、マルク王はクルト・モル、クルヴェナールはフィッシャー=ディースカウ。とくに第3幕で、瀕死の傷を負ったトリスタンがイゾルデを待ち焦がれ、彼女を乗せた船の到着の知らせに狂喜する場面のすさまじい感情表現と劇的効果には茫然とする。
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 一方、1890年に出版されたベディエ編の『トリスタン・イズー物語』(佐藤輝夫訳、岩波文庫)を読むと、ワグナーとはまたちがった世界が広がる。ワグナーのトリスタン劇がトマ系列のテクストを刈り込んだパフォーマンスだとすれば、ベディエはベルールに基づいてそこに豊かな肉づけをおこない、物語を語り直した。マルク王のものとなった黄金の髪のイズーを忘れられずに懲りることなくあの手この手で逢瀬を重ねるトリスタンにはどこかこっけいさすら漂う。またトリスタンはブルターニュでもうひとりのイズー(白い手のイズー)と結婚しており、最後は黄金の髪のイズーに嫉妬する白い手のイズーの嘘によってとどめをさされる。物語には豊かなエピソードの枝葉がひろがっている。
 ガストン・パリスはベディエのテクストの序文で、十字軍時代の騎士道的フランスの粉飾が、物語の始原の姿ではないことに注意を促している。トリスタンは騎士というよりも、狩り、料理、格闘技、航海、竪琴演奏、鳥の鳴き声の真似などにすぐれた無敵の勇者であり、いわば「技芸の発明家」としての性格をしめしている、とパリスは指摘する。なるほど。たしかにベディエを読んでみて一番おもしろかったのが、マルク王に追放されたトリスタンとイゾルデがモロアの森に潜んで暮らす場面である。トリスタンには野人の趣があり、伝説はケルトの森にむかって開かれているのだ。