父と子と...

 モデムが故障して1週間ほどインターネットから隔離されたが、ようやく復旧。便利でめんどうくさいバーチャル世界に戻ってきた。今日のWC研は管さんのナビで『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(2005)、トミー・リー・ジョーンズの初監督作品。アメリカ・テキサス州とメキシコ国境地帯に広がる荒野の風景を堪能する。アメリ国境警備隊員のマイクに誤って射殺されたメキシコ人不法労働者メルキアデス。メルキアデスの友人ピートは「俺が死んだらメキシコの故郷の村ヒメネスの家族のところに埋めてくれ」という友の言葉を実行する。マイクを自宅に襲い、手錠をかけ、メルキアデスの遺体とともに国境を越える馬の旅が始まった。ところがメルキアデスから渡された家族の写真に写っていた女性はメルキアデスを知らないといい、ヒメネスなどという村は実在しなかった。ピートはとある廃墟を「ここがヒメネスだ」とつぶやき、マイクとともにメルキアデスを埋葬する...。
 三度埋葬されるメルキアデス。最初はイリーガルな、二番目はリーガルな、三番目はポエティックな埋葬。三つの埋葬はどれも何らかの不完全さを帯びている。だが最後の埋葬こそリアルな埋葬だといえるだろう。社会制度としての既存の行為と、人と人のあいだで意味がつくられていく行為の違いについて考えた。そしてピート/マイク、盲目のメキシコ人/ピートといった血縁のないところに浮上する「父‐子」の関係。さらに女性と男性とのあいだに描かれるさまざまな関係不全。ブラックな笑いも随所にある。ただフィルム前半の時系列の錯綜は果たしてどうなのか...。
 不在の場所への彷徨。ヴェンダースの『パリ・テキサス』やカルペンティエールの『失われた足跡』が脳裏をよぎる。