アイヌモシリの幻影4

 ナラトロジーといえば、面白かったのが本多勝一アイヌ民族』(朝日新聞社、1993年)である。この著名なジャーナリストは、本書では何とフィクション仕立てでアイヌの生活世界の叙述を試みる。500年前の釧路の架空のコタンにおけるハルコロという架空のヒロインの成長、結婚、彼女の息子パクセルの旅立ちを通じてアイヌ生活文化のディティールが描かれる。インフォーマントからの聴き取り、前述のユーカラやウェペケレの翻案などを自由に織り交ぜながら、筆者は素朴で溌剌とした「アイヌ小説」を書いたのだ。しかも著者が明言するように、その物語はウェペケレの枠組みによって「一人称語り」として語られるのである。記録のない時代の「書かれなかった歴史」を浮上させるために、本多勝一は「ハルコロの語り」を発動させたのだった。これが僕には実に興味深かった。ただ本多のアイヌディスクールは残念ながら未完である。1457年のコシャマインの戦(アイヌと和人との抗争)以降のアイヌの変遷を描く大河小説の構想は日の目を見ていない。アイヌの民の『第4世紀』は未だ書かれてはいないのだ。
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 しかし「アイヌ」とはどのような民族だったのだろう? 一般には農耕文化に移行せず縄文文化を継承して狩猟採集文化を維持した民と考えられるが、瀬川拓郎『アイヌの歴史――海と宝のノマド』(講談社選書メチエ、2007年)を読むと、縄文時代、擦文時代(弥生期に移行しなかった北海道独特の考古学的時代区分で擦文人アイヌ人のプロトタイプと関連づけられる)、擦文文化とサハリンや中国アムール川下流域にかけてみられたオホーツク文化との緊張関係など、アイヌ文化を包括する北のダイナミックな狩猟採集民の歴史を展望することができる。鮭とオオワシの羽根を交易品として丸木舟に乗ってサハリンや本州の異民族と活発な交易を展開したアイヌの民にはさまざまな地域差があり、「渡党」など和人との境界集団も存在していた。興味深いのは樺太アイヌ独特の楽器トンコリである。前述のCDでその鄙びた音色の5弦琴の調べを初めて耳にした。ところで瀬川氏がモースを参照するのが気になった。6月に読んだ中沢新一原発論文で贈与の問題が論じられていたときから気になっていたのだが、どうやらモースの『贈与論』をちゃんと読むときが来たようだ。かくして9月の通勤電車のなかで、あの膨大な注をもつ書物とつきあうことになった。
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 現在のアイヌの問題。それはまた大きなものだ。彼らの居住地は北海道だけではない。北海道での差別を逃れて関東に流れたアイヌも少なくない。そうした人々の声を掬いあげたフィルムがつくられた。森谷博監督『TOKYOアイヌ』(2010)である。2007年9月の国連「先住民族の権利に関する宣言」、2008年6月の国会決議「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」といった流れのなかで今アイヌの問題を考えることは重要である。私たちにとって不可視の民を可視化する契機となるフィルムである。提起される問いは重い。東京では次の場所で上映されている。僕は9月4日に見た。
      http://www.nakano-jukan.com/event.htm
エンディングではアメイジング・グレイスアイヌ語で歌われる。アメリカ合衆国の黒人社会で歌われ、涙の道を歩いたチェロキー・インディアンによって歌われ、琉球語で歌われ、アイヌ語で歌われる歌である。