Bessie Smith / Back-Water Blues

なんとふたたびインフルエンザになってしまった。今度はB型である。春から急激に忙しくなったので身体がついていかないのかな。先週の水曜日に判明して、あとはずっと家で寝てるしかない。今回はワーグナーを聴く気力もなく、ちょっと前にアマゾンで買ったベッシー・スミスの「バック・ウォーター・ブルース」が入ったナクソスのCD(Bessie Smith vol.3)を繰り返し聴いた。「バック・ウォーター・ブルース」は、ラフェリエールの小説『ニグロと疲れないでセックスする方法』のなかに出てきた曲で気になっていたのだが、実はこのベッシーの代表曲を聴いたことがなかった。うちにあるコロンビアのベスト盤(Bessie Smith The Collection)には収録されてなかったし。もともとシティ・ブルースには余り興味がなかったんだけど、こいつはすばらしかった。ブルース、とくにカントリー・ブルースの歌い手は、時としてコミュニティの事件を語るレポーターとなることがあるんだけど、まさにこの歌詞はその典型的な例だ。女の子の「私」はディープ・サウスのミシシッピ川の氾濫を歌う。録音は1927年の2月である。本棚の奥からほこりをかぶったMichael TaftのBlues Lyric Poetry(1983)を引っ張り出した。15年以上もまえに修士論文でブルースの歌詞分析をやったときにお世話になった本だ。この本を開くのはおそらくその時以来じゃないかな。やあ、マイケル、長い間ほったらかしにしてごめんな。ちょっとまた助けてくれよ。なるほど、ありがとう。じゃ、訳してみるか。



5日も雨が降りこめて、空は夜みたいに真っ暗け
5日も雨が降りこめて、空は夜みたいに真っ暗け
そしたらひどいことがおこったのよ、夜の間に、この低い土地にね


今朝起きたら、外にも出られやしない
今朝起きたら、外にも出られやしない
こんなのひどすぎるよ、ちっちゃな女の子はどこに行きゃいいの


みんなは小さな舟をこいだのさ、池になっちまったところを5マイルも渡って
みんなは小さな舟をこいだのさ、池になっちまったところを5マイルも渡って
あたいはありったけの服をかばんに詰めて舟に飛び乗った、それでゆらゆら水のうえ


雷がとどろき、稲妻がひかり、風が吹き始めたとき、
雷がとどろき、稲妻がひかり、風が吹き始めたとき、
何千人もの人たちが行くところを失ったのよ


あたいはあの高い丘の上に立った
あたいはあの高い丘の上に立った
そして見下ろしたよ、あたいが住んでたあの家を


洪水ブルースのせいで、あたいは一切合財かばんにつめて
  逃げ出したのさ
洪水ブルースのせいで、あたいは一切合財かばんにつめて
  逃げ出したのさ
家も流されちゃったから、もうそこには住めやしない


ああ...どこに行きゃいいの
ああ...どこに行きゃいいの
哀れな女の子に行くところなんてありゃしない


気品すら漂う堂々たるブルースである。朗々としたベッシーの歌声はもちろんのこと、ストライド・ピアノの父James P. Johnsonのブギウギ・テイストに富んだ伴奏が絶品である。ベッシーの録音をこれまでそんなにたくさん聴いたわけではないけど、そのなかで「バック・ウォーター・ブルース」が一番いいな。