行為にpoesieがなければ窒息してしまうだろう。
家からちょっと先まで出かけるときであっても、
見慣れた風景のなかであっても、
そこにいつもpoesieを捜し求めるだろう。
それは、
ほんのわずかな変化の察知や、
とりとめもない夢想のかけらに過ぎないものであっても、
身体に吹き込んでくる何かの息吹なのだ。
poesieのない時間は無味乾燥たるものだろう。
そうした時間の何たる堆積...。

散歩をするとき、そう思う。