Chick Corea/IS (1969)

 暮れから風邪をこじらせ、寝たり起きたりの正月。年末年始風邪引き記録を4年連続に更新する。なんとも情けないが、この恒例行事(?)で1年の厄を落としているような気もする。微熱がとれず起きたら昼すぎ。子供を連れて実家に用事に行ってくるという妻の書置きを読み、用意しておいてくれたお粥を食べ、一人きりなのをいいことにして音楽を大音量で聴くことにする。それで取り出したのがChick Coreaが1969年に吹き込んだISというLP。ライナーの端に書き込んだメモによれば、1987年2月17日に銀座のハンターで買ったとある。懐かしいレコード屋の名前。あの頃はせっせと中古屋まわりをしていたっけ。山とjazzに明け暮れていた孤独でおバカで祝祭的な我が20代。
 フリージャズ全盛の60年代後半。マイルス・バンドに参入しelp.を弾いていたチックはこのあとCIRCLEという自らのフリージャズ・ユニットを経て、70年代のポスト・フリー期を導くあの歴史的グループRETURN TO FOREVERを結成する。RTFのパラダイス的音楽へ至る直前、方向性に迷っていた1969年のチック・コリア。シリアスなフリーで時代の音楽的マニフェストを担うべきか? 新たな楽園音楽を開拓するべきか?
 フリージャズは時として自己満足的なカオスと紙一重。"Is"や"Jamala"といったcollective improvisationのトラックを聞くとその危うさを感じる。一方"This"はひとつのモードにおいて即興されるドライヴ感溢れる名演。今聞いても新鮮。ヒューバート・ロウズとのわずか30秒のデュオ"It"には明らかにその後のソロ・ピアノで表現したポエジーのフォルムがすでに記録されている。
 でもフリーはすべて無意味なカオス、と断定しようとは思わない。音楽がどれだけ自由になれるかという実験の記録に耳を傾けることは、フロンティア開拓者たちの冒険を確認する作業だと思う。ドシャメシャの暴走はそれ自体、あの時代があげたひとつの〈叫び〉なのだ。
 ところでLPのライナーにはテナー・サックス奏者の名前がクレジットされていない。前々から気になっていたのでネットで調べると、ベニー・モウピンBENNIE MAUPINであることがすぐ判明。またこのアルバム自体が2002年BLUE NOTEからthe complete "IS" sessionsとしてCD化されていたこともわかった。ネットはつくづく便利だ。