神隠しとカフカ

 今日のWC研、管さんナビでPeter Weir監督『Picnic at Hanging Rock』(1975)を見る。オーストラリア映画のヒット作。1900年の聖バレンタインの日に岩山にピクニックに出かけたアデレード近郊の女子校生と教師の一人が神隠しにあう話。ビクトリア風のヨーロッパ世界と土地の自然(岩山)との対比。結局神隠しにあった3人は見つからず、その原因や理由付けも明らかにされぬままにフィルムは終わる。そこにはゴシック・ロマンス風の怪奇性が漂う。「コルセット」「靴」「靴下」を脱いで山頂に向かい消えてゆく彼女ら。神隠しをかろうじて逃れた帰還者たちが負う額の傷や無数のかすり傷。前者は文明の記号であり、それをはずして山に消えるところはわかりやすい。しかし不可解な傷の意味はついに解説されない。その不可解さの中心にそびえる岩山は明らかにヨーロッパ世界とは異質な自然の神的な力の結節点である。現在ならば、アボリジニの視点をもっと撮りこんで多角的なナラトロジーの構築が可能であろう。しかし、圧倒的なヨーロッパの視点から垣間見える岩山の不気味さは、その視点の固定性がゆえに、一層際立つのである。
 そのあと神楽坂のシアターイワトで高橋悠治さんの新作「カフカノート」を見る。テクストはカフカのノートブックから集められた断片の束。短編「父の心配」のなかに出てくる「オドラデック」なる謎の生き物も登場する。読んでみよう。ただ、テクストと役者のパフォーマンスのあいだには若干の乖離があったように思える。それからことばが歌になるとき、その歌はいささか力を欠いていた(波多野睦美さんは別格として)。
不可解なるものの力に接近した一日。