管啓次郎×小池桂一トーク

 19時に六本木、青山ブックセンターに駆けつける。仕事のあと気合を入れて来た甲斐のあるお話しだった。アメリカ・インディアンの教え、それは白人の「合衆国・グローバリスム」に回収されない、土地と関係しながら生きる人々の生の姿の意味である。資本主義というシステム・内・存在として取り換え可能な匿名的部品に徹底的に還元されてしまった私たちが参照すべき生のかたち。管さんが言うように、われわれはインディアンの土地と関係することによって「インディアンになる」ことができる。問題は血縁関係ではない。生物として、土地を生きることでわれわれはその土地と相互交流する存在となる。都市生活によって人間が喪失したことは土地との、自然との交感の経験である。自分がささやかな週末ハイキングを渇望するのは、その本能のわずかな残滓なのだろう。雨であれ、霧であれ、むせかえる生命力にあふれる香りに満ちた山の空気を吸うとき、これこそが何よりの命の洗濯である。僕の山歩きは文化的興味よりももっとプリミティブなところにある(あった)。