ろうそく灯下の朗読会

表参道のタウンデザインカフェにて19時スタート。普段職場で扱うことを余儀なくされている「制度的」なことばの皮相さにいささかうんざりする身にしてみれば、詩のことばを聴くこの会は砂漠に沁みとおるスコールの恵みだ。詩なんて何の役にも立たないんじゃないかって? なんてことを! 詩のことばは「何かのために」発せられるものではない。たとえば、ドゥルーズが『千のプラトー』の「言語学公準」で皮肉たっぷりに(?)提示した「命令文こそ言語行為の基本である」というあのテーゼを、詩のことばはすり抜けていく。詩のことばだけが纏う力は確実に立ちあがる。アロマキャンドルの安らぎのうちに繰り出されることばたちの輝きを浴びる者は、しばし、制度のことばの使用から離れて、野山を歩く解放感に浸る。それは生を回復するために必要な回路であるはずだ。明川哲也のショート・ストーリーのハムスター発電のユーモア。新井高子の生き生きした飛び散る言葉とイメージ。小沼純一の「サイエ」という「読みにくさ」が喚起する存在の重さ。文月悠光の演劇の発話と一体となった詩の言葉の圧倒的パフォーマンス。管啓次郎の「ノンフィクション」はアリゾナ砂漠という荒涼たる自然のエネルギーのなかで暮らした経験がもたらした強烈なインパクトを真摯に差し出す。1週間の労働を終えてへろへろの金曜日の夜、カフェの外で深呼吸したら雨上がりの空気が心地よかった。