アイデンティティとランガージュ

 午後、日仏会館で開催されているアジア・フランコフォン大学の講演会に出かけた。「アイデンティティとは何か」という問いに対してもっともスキャンダラスで魅力的な解答を提出する作家の一人、ダニー・ラファリエール氏の基調講演を聴く。そのあとり・カヤ氏によるマリーズ・コンデのアイデンティティ探しについての簡潔な俯瞰、ドン・チャン氏によるクンデラの分析。最後までいられなかったが、面白かった。アイデンティティとは、「自分のアイデンティティとは何だろう?」という問いが発動するときにはじめて浮上する。その問いは常にパフォーマティヴなものだ。音楽によって、身体表現によって、造形表現によって、そして言語によってその問いは展開される。とりわけ、言語を媒介とするとき、問題となるのはラングではなく、ランガージュ、すなわち言語運用であるということ。グリッサン、そしてラファリエールが示そうとするのはそこである。どのラングに所属するのか、ではなく、どういったランガージュを開拓するのか。アイデンティティの問いは一人ひとりのランガージュの開拓と表裏一体なのだ。ラファリエール氏のスピーチを聴いてそんなことをぼんやりと考えた。ランガージュは言語以外の記号にも拡張可能だろう。そしてランガージュの開拓とは即興性に満ちたものであるだろう。