伊豆の旅

 岬への旅はどこかノスタルジックでセンチメンタルだ。三浦半島真鶴岬、北海道の野付半島、マルティニク島のカラヴェル岬、アイルランド西部の名前を忘れた小さな岬...。海に向かってだんだん心細くなる小経を辿るうちにいつもきまってさまざまな想念が心をよぎるものだった。しかしGWの2日から3日にかけて出かけた伊豆半島の印象はちょっと違った。伊豆半島は人を感傷的にさせるには余りにも巨大である。2日は明け方東京を出発し、箱根峠から伊豆スカイラインを南下し、天城高原の駐車場に車を止めて一日がかりで天城山系を歩く。駐車場近くの林道に現れてのんびり草を食う鹿たちは車に驚くこともない。万次郎岳(1299m)、万三郎岳(1405m)を越え、北面の山腹を巻いて駐車場に戻る周遊ルートを辿る。寒気が入り霧に包まれた万三郎岳山頂は零度近い。コンロでお湯を沸かして味噌汁をつくり冷え切った身体をあたためた。大人の足で4時間ほどのコースだが子連れということもあり、倍近くかかって夕方駐車場に戻る。いつも父親の趣味につき合わされる息子はよく歩いてくれた。
 それにしても山中の植生のなんと豊かなことだろう。奥多摩あたりを歩くと最初のうちいつもうんざりさせられる杉の植林帯に出会うこともない。幻想的なブナ林にリョウブ、ヒメシャラといった木肌のつるつるしたいかにも南方的な樹木たちが混ざる。かわいらしく花弁を下に向けた山桜、なんていう名前だろうね。ようやく新緑に覆われようとする森のあちこちに藤の花がゴージャスなアクセントをつける。稜線に出ると白い花をつけた馬酔木のトンネルをくぐる。もう少ししたらアマギツツジがいっそう豊かな色どりを添えることだろう。昨年の今頃訪れた天城西方の八丁池は今日も静まりかえって、モリアオガエルサンショウウオたちが人に見つからないように息をひそめていることだろう。温暖な気候や海流に育まれた天城の山は生命力にあふれる秘境だ。

 充実した疲労感とともに東伊豆へ下り海沿いを南下して河津から天城街道を北上し、湯ヶ野を過ぎて大滝・七滝温泉に投宿する。翌日は河津七滝沿いを散歩。本谷川と荻入川の出合のゴルジュは壮観だ。伊豆の踊子のブロンズ像が遊歩道の一角に立っていた。ここに来たからには読まねばなるまい。「伊豆の踊子」で語られるのは、天城峠を越えて河津まで旅芸人の一行と南下し、船で東京に戻る青年の道行きだ。川端自身が投影された孤独な青年の視線は宿泊客の視点から谷沿いの温泉集落と踊子たちを観察する。新潮文庫版『伊豆の踊子』に収録された「温泉宿」の方がぼくには面白い。酌婦(すごい日本語だね)の少女たちの生きざまもさることながら、ふと村に立ち寄って襖絵を描き去ってゆく旅絵師のエピソードが印象深い。この旅絵師の移動を追う物語を読んでみたいものだ。
 死の影がつきまとう川端温泉宿文学をあとにして、ぼくらの車は海岸沿いをトレースして伊豆半島の南端、石廊崎を目指した。もうすでに大島より赤道に近い。南伊豆は太陽ふりそそぐ緑のエネルギーが爆発している。風が強く良く晴れあがった午後2時到着。遊覧船に飛び乗って海に出るとものすごい大波のまっただなか。ジェットコースターのように船は揺れ、息子はきゃあきゃあ大喜び。ぼくらの船のあと、その日の出航は中止となった。そのあと西伊豆の海沿いを走り、松崎港あたりで沈みゆく太陽を眺めて一休み。とっぷりと暮れた西伊豆の山を東に超えて修善寺あたりでひと風呂浴びて帰京した。伊豆半島を堪能した旅だった。