フェルディナント・ホドラー展

(展示のパネル解説が)いまひとつだったチューヒリ美術館展で気になったホドラーの作品展が国立西洋美術館で開かれているというので観に行った。"Towards Rhythmic Images"という副題はまさにこのスイスの国民的画家の可能性の中心をついていると思った。Ferdinand Hodler(1853-1918)は晩年、彼の特徴である淡い青色とくっきりした線描スタイルによってアルプスなどの風景画を描き、内外で多くのファンを得てきた。最近再評価の気運がたかまっているといわれる。全生涯をふりかえる今回の充実した回顧展によって、世紀末的退廃からモダニズムの萌芽といった時代の変遷を反映した画風の変遷をたどることができるのだが、もっとも興味を引かれたのは、ホドラーの描く人体である。あるいは人体の身ぶりのリズムといってもよい。『オイリュトミー』(1895)、『感情Ⅲ』(1905)における複数の人物が示す反復のリズムは絵画を音楽へと接近させる。死への歩みをイメージさせる重い物語を喚起する前者では、しかし反復しつつ少しずつ変化する5人の男性の姿勢が生き生きとしたリズムを刻んでいる。「オイリュトミー」とはギリシャ語で「調和のあるリズム」という意味である。ここでまたしてもリズムの語源「リュトモス」へと連れ戻される。バンヴェニストを思い出そう。「リュトモス」とは定量的拍子ではなく、即興的に変化するかたちを意味していた。ホドラーの人体群はリュトモスを体現しながらいわば合奏する。彼らはみな首をひねり、姿勢をくねらせ、マニエリスムの蛇状曲線を体現しているかのようだ。リトミックの提唱者ダルクローズはホドラーの絵画における舞踏的音楽性を指摘している。ルドルフ・シュタイナーより以前にホドラーが「オイリュトミー」に着目していたという点は興味深い。本棚の片隅からずいぶん昔にパリのフナックで買ったダルクローズのLa musique et nousを引っ張り出した。『眼は聴く』とはクローデルの絵画論のタイトルだが、絵画と音楽の相互浸透を感じ、考えた刺激的な展覧会だった。ちなみにグリッサンはそのヴァレリオ・アダミ論のなかでクローデルの書物のタイトルを引用している。絵画において、目に見えるものを越えてゆくスリルとリアリティ。