教師論

同僚から面白いからとすすめられて内田樹中田考一神教と国家――イスラームキリスト教ユダヤ教』(集英社新書)を読了。ここのところ時の人という感じの中田先生。レヴィナス翻訳者としてユダヤ教の立場を代弁してイスラームに帰依した中田先生と互角に張ろうとする内田先生。いくつかの点で???というところもあるが「領域国民国家」の限界点と越え方を示してくれる刺激的な読書だった。果たしてイスラームアメリカ主導の拝金グローバリズムを打破できるのか。それはさておき、あとがきの中田先生の一節にハッとさせられたので引用する。
 「結局のところ、教師の条件は一つだけであり、それは生徒にとって謎であることであり、謎でなくなった時、その人は師たることを終えます。なぜなら、知を起動するのは、好奇心であり、未だ想像もできないものへの憧憬だからです。」
  すごいことばだな、その通りです。現場はなんとこの境地の対極的状況にあることだろう…。この条件が問われなくなったとき、教師は100%PCで代用可能になるだろう。