所在のなさ

いろいろがんばってみたが、どうにも所在さなから脱することができない人生である。漱石の本質は
居心地の悪さだと評したのは誰だったか。どこかに属さなければだめなんだよ、と昔言われたI先生の
言葉を思い出す。自分は漱石ほど偉くはないが、どこかに所属することが基本的にできないらしい。
たぶんそれは能力と関心の不足であろう。嘆いてみても仕方がないのだろう。
今日の夜は、とある労働組合の会合に神保町まで出掛けたのだが、そこに出席し熱心に議論に参加する人たちの面構えは
どれも自分の生きる場所を引き受けていて、叩きあげられた歴史を物語っていた。
それらの顔をしみじみ眺め、回転寿司を食って帰る。

最近、通勤電車のなかでバシュラールの『空間の詩学』を読み始めた。幸せ感に満ちた文章が
心地よい。散歩について考える。