フランコフォニー・フェスティバル

  一昨日生徒たちを無事送り出して、仕事はひと段落、4月4日までほぼ2週間の休暇である。休暇2日目の今日は昼過ぎにフランコフォニー・フェスティヴァルへ出かけた。久しぶりの飯田橋日仏学院。朝方の雨もやんで温かくなった。2時半ごろつくとまだ屋台は準備中。外のベンチでコーラを飲みながらランガーの『感情と形式』の下巻を読みながら時間を潰す。「フランス空間」のなかでアングロサクソンの美学書を読むのもおつなものだ。野外の仮設ステージからドベ・ニャオレのリハが流れてくる。チーズの強烈な匂いにつられてスイスの屋台に並ぶ。ラクレットracletteという、ゆでたジャガイモに溶けたチーズと胡椒をかけたものでなかなか美味しい。6年前の正月にバーゼルで食べたフォンデュを思い出した。小さなワインとラクレットの皿で100円。売上はハイチ援助にまわるという。中庭ではニューカレドニア語り部、ジルベル・タンのお話が始まった。ちょっとだけ聞いてからエスパス・イマージュに入って4時からペドロ・ルイスのドキュメンタリー『ゆらゆらと漂流するプティゴアーヴの少年』(2009)を見る。ハイチの作家ダニー・ラフェリエールのプロモーションのような内容だが、ハイチの様子がよくわかる。三島を仏訳で読み「自分は日本人作家だ」などと発言するとても面白いやつ。読んでみたいな。上映後、レジス・ドゥブレが登場し、ハイチの状況とフランス、アメリカとの地政学的関係について語った。地震によって破綻した「国家なき社会」ハイチをどう立て直すか。フランスとアメリカの介入はハイチにどのような意味と影響をもたらすのか。ドゥブレはその災害の規模からいって、ハイチは国連の指導下で復興を目指し、reconstructionではなくconstructionをすべき状況なのだと語る。そもそも、震災前からハイチは夥しい政党の乱立によってナシオンとしての統一がとれていなかったのだから...。ドゥブレはミッテランの外交顧問を務め、左翼系知識人の重鎮の一人だが、アリスティド失脚に絡んだフランスの内政干渉について突かれるといささか歯切れが悪い。しかし、ドゥブレが指摘するように、ハイチ人の頭脳流出と国内人材不足が長期に渡る国力低迷の大きな要因であることは間違いないだろう。立ち上げられた「ハイチ支援フランコフォニー委員会」に協力したいと思う。
  1時間の映画と2時間のコンフェランスのあと、ドベ・ニャオレのライブへと流れた。コートジボアールのスレンダーな歌姫は激しい踊りを交えて歌う。いいね!バンドもまとまっていて、特にドラムスが最高。CDを買ってサインしてもらう。夜になるとすっかり冷え込んだ。マルティニク帰りの中村夫妻とくぼたのぞみさん、パコくんと5人で神楽坂の焼きとり屋で一杯ひっかけて帰る。