シンポジウム「複数の世界文学に向けて:フランス語圏文学の遺産と未来」

シンポジウムは盛会だった。仕事の都合で遅刻して、中村隆之さんの発表の途中から入る。「クレオール、アフリカ、世界:日本におけるフランス語圏アフリカ系文学研究の四半世紀」と題されたその発表は、資料として配布された「20世紀末クレオール論の政治的意義とその喪失の今日的意味」(越境広場第7号)とともに、本シンポジウムの総論であり、カリブ海やアフリカなどのフランス語圏文学の日本における詳細な受容史であった。「クレオール」という用語はたしかに2000年代後半ごろから言論の表舞台から姿を消したが、世界各地で生産され続けるフランス語による文学作品に、いま、どのようにスポットライトをあて、その動向把握のためにどのような道しるべを立てればよいのか。「フランス語圏文学」という名称は何を表示するのか。言葉は土地の言葉であり、その土地の作家によって書かれた作品はすべからく土地の文化表象なのか。そうした問いが、シンポジウムの随所から立ち上がる。スリリングであった。

たとえば、マリー・ンディアイの仕事は果たしてアフリカ大陸の新しい女性像の提示なのか、といった澤田直さんの刺激的な問題提起「文学賞を通して考えるフランス語圏文学:マリー・ンディアイのケースを中心に」は、作家自身の証言とともに、そうした問いに切り込んでゆく。(脈絡なく話が飛ぶが、今回のシンポジウムでは表立って議論されなかったカメルーンのレオノラ・ミアノによる「アフロフォン」の概念は、アフリカ文学におけるフランス語使用のステイタスとアクチュアルな文化的アイデンティティについての先鋭的な批評のひとつとなっているように思われる。)

大辻都さんによる「シモーヌアンドレ・シュヴァルツ=バルトの共作:2つのジェノサイドとケアの倫理」では、フランスのユダヤポーランドアンドレグアドループ出身のシモーヌによる共同執筆の経緯が報告された。アウシュビッツ奴隷制を通底させ、アンティル・サーガを紡ごうとしたアンドレシモーヌの仕事は、アンドレがその土地の者ではないこともあって非難され、頓挫する。アンドレの死後、ヤン・プルガステルとの共著Nous n'avons pas vu passer les jours (2019)において、シモーネは「ユダヤ人であることとは、他の民族の苦悩を共有できるということなのです。(…)ユダヤ人の苦悩とはエジプトにおける奴隷制と追放に由来することを忘れるわけにはいきません。」と語る。大辻はこうした創作のベクトルを「ケアの倫理」というトピックにつなげようとする。そこからは、果たして彼らの文学活動が示すスケール感を「フランス語圏文学」という名称に括るのが適切なのだろうか、単に「文学」でよいのではなかろうか、という議論も立ち上がるだろう。

その一方で、土地と文学の紐帯を示す例がデウェ・ゴロデーであろう。星埜守之さんによる「デウェ・ゴロデーとニューカレドニア文学」では、1980年代カナック社会主義民族解放戦線に加わり独立運動に携わった作家デウェ・ゴロデー(1949-2022)の生涯と創作活動が紹介された。今年の8月に亡くなった彼女は、作家活動の傍らニューカレドニアでフランス語教員として働き、政府組織にも参与し、カナック文化振興機構で口承文化の調査を行った。カナックとはニューカレドニアの人口の半分弱を構成するメラネシア系先住民であり、デウェもカナック人である。ニューカレドニアは現在フランスの海外領土だが独立投票を控えている。ニッケルの産出地でもある南太平洋の島は、日本では森村桂『天国に一番ちかい島』の映画化によってリゾート地として広く知られた。発表では詩集『コンク貝の灰の下に』(1985)の一節や掌編「ムンウン、どこへ行くの?」(L'Agenda,1996に収録)が紹介されたが、残念なことにご遺族から彼女の作品の翻訳の承諾が下りないのだそうだ。状況に突破口が開かれることを願いたい。ひとつの土地に生きる民を知るためには、その土地の文学に触れること以上に重要なことはないのだから。資料のひとつとして、ニューカレドニアの研究者アミド・モカデム氏によるデウェへの追悼文が配布された。独立運動の戦士ジャン=マリ・チバウにも触れたその文章を読みながら、ずいぶん前になるが氏が来日した折、とある研究会でニューカレドニアのフランス語が話題になっていたときにうっかりl'accentという言葉を使ってしまい、手厳しくたしなめられたのを思い出した。

報告の最後を締めくくる西川葉澄さんの「ふたつの越境:ロートレアモンとラフェリエール」は、立花先生のお仕事を紹介しつつ、モンテビデオ、ハイチ、日本を結ぶパサージュの設置であり、かつ澤田さん報告とも呼応するものであった。ロートレアモンと共振するセゼールの言葉を「生まれ出る酸素のように美しい」と評するブルトンがいる。そしてまた、セゼールの帰還を前に逡巡するダニー・ラフェリエールがいる。「私が作家であり、カリブ海人であるからといって私が自動的にカリブ海の作家であるわけではない。日本人の読者が私の作品を読むとき、私はただちに日本作家となる。」とダニーは言う。ダニーにとって、作者は読者に帰属するのだろう。文学は土地を立ち上げ、土地を超えて享受される。国境を越えて普遍的価値を目指す世界文学がある。また土地から発して国境を越え複数の土地や文化と感応しながら変幻自在に受容される世界文学がある。その両義性の自覚を促す狙いが、「複数の世界文学」というタイトルにあったように思われる。「複数世界」が危機に晒されている現状への危惧を訴える福島亮さんのコメントや、アジア地域でのフランス語圏作家を紹介された廣田郷士さんのコメントとともに、実にエキサイティングなシンポジウムであった。

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シンポジウムのあとQuatre Fontainesで立花先生を偲ぶ夕食会があった。レストランの椅子に立てかけた先生の写真が派手な音を立てて床に落ちたり、テーブルから落ちたプログラムの紙片が床の羽目板の溝に引っかかって立ったり、きっと立花先生が来ているねと皆で笑った。夕食会のなかで藤原書店さんから配られたダニー・ラファリエールの追悼文をしみじみと読んだ。

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「偲ぶ会」の栞にも書きましたが、日本フランス語圏文学研究会のオンライン会報第7号「立花英裕先生追悼号」をつくりました。よろしければご覧ください。

日本フランス語圏文学研究会 Cercle d'études japonais des lettres francophones