アイヌモシリの幻影2

 阿寒のアイヌコタンを訪れたこともあって、この夏は「アイヌ文学」に少しく親しんだ。永遠の古典、知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫)、山本多助『カムイ・ユーカラ』、萱野茂アイヌの昔話』(いずれも平凡社ライブラリー)。『アイヌ神謡集』の有名な桃源郷のように素朴で美しい序文は、もちろん現実のコタンそのものの姿ではなかろうが、異郷の土地へ踏み込まんとする者の想像力に豊かな厚みを与えてくれる。「アイヌ文学」といってもわれわれが手に取るのは、口承のことばを文字におこしたトランスクリプション。そこには編集作業があり、声において存在する即興的な言葉が文字の姿に翻案され、かりそめの姿で固定されたものだ。アイヌの口承ジャンルは大雑把にいって節をもつ詩的なユーカラと節のない散文的なウェペケレに大別される。知里、山本両氏の本はおもにユーカラを、萱野氏の本はおもにウェペケレを収めている。それにしてもさまざまな動物神が活躍するユーカラのリフレインは楽しい。狐のリフレインはトワトワト、蛙が鳴けばトーロロ ハンロク ハンロク...。クリシェもいろいろ面白い。やっつけられて気を失ったあと意識がもどると「耳と耳のあいだに座っている」自分に気づいた、などなど。創世神話にはいろいろなバージョンがあるそうだ。山本多助氏は、雷の神である父とチキサニ(ハルニレ)の樹である母のあいだに生まれた人格神アイヌ・ラッ・クルの物語を紹介している。同氏はその「アイヌ・ラッ・クル伝」を演劇に仕立て、1976年4月にパリのユネスコ本部で上演した。(グリッサンがもうちょっとはやくユネスコの仕事を得てパリに行っていればその舞台を見ただろうか...)
 「アイヌ文学」に接近するとき、われわれはそのテクストがさまざまな即興的差異を包含する語りのパフォーマンスの束のひとつの断片であることを忘れるべきではないだろう。「アイヌ・ラッ・クル伝」にしても、さまざまな地域差によって多くのバージョンが編集可能だったはずだ。文字テクストから語りの場へと想像力を伸ばすこと。幸いにもいくつかの録音がCDで聴ける。僕が試聴したのは『アイヌ・北方民族の芸能』(ビクター)、『世界民族音楽大集成3・4』(キング)。時空を遥に隔てるアイヌの口承文化に接近を試みるとき、歌い語られるテクストと翻訳された文字テクストのあいだにその説話世界を想像しようとする姿勢が正しい受容といえるのではないか。