キルメン・ウリベ『ビルバオ−ニューヨーク−ビルバオ』

 四谷のセルバンテス文化センターでキルメン・ウリベと管啓次郎の対談&朗読会を聴く。管さんの名ホストとすばらしい朗読で非常に充実したひとときを過ごした。セルバンテス文化センターに始めて足を踏み入れたが、赤を基調としたとてもお洒落な場所だ。
 金子奈美訳『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』。著者のキルメン・ウリベは1970年、スペイン・バスク自治州ビスカイア県の港町オンダロアで、漁師の家に生まれる。フランコ体制が瓦解した後、バスク語の使用が自由になった第一世代であり、歴史のなかでこれまでそれほど盛んでなかったというバスク文学の未来を担う作家である。
 とにかく刺激的な作品である。スペイン・バスク最大の都市ビルバオからニューヨークへ向かう飛行機の旅に、作家自身がインフォーマントを訪ね歩くバスクの民の家系の遡行が重なり合う。バスクの民衆の歴史、それ自体はこの小説で語られていない。この作品は、その歴史がこれから書かれることを予告するのだ。すなわち、読者はこれから書かれるであろう物語を想像するという読書をおこなうことになる。グリッサンは「過去の予言的ビジョン」というポエティクスを提言した。それは公的なアーカイヴをもたない民衆の過去の現実を、聴き語りの断片から再構成して未来に提示する、という手法であった。キルメンの手法もそれによく似ている。彼は書かれるべき「未来の小説」に向けて自らのポエティクスをこう語る。「そこで小説を書くプロセスそのものを語ることにして、3代の物語は断片的に提示されることになるだろう」(p.142)。あるいはベラスケスの「女官たち」を例にとりながら、「僕は小説を書く際のあらゆるプロセスを提示しなければならない」(p.152)。その詩学は、時空を越える想像界構築の旅である。ところで、フレンチ・バスクの状況はどうなのだろう? スペイン側との交流は? ちょっと気になるところである。