ラブレイズ 『ドラゴンは踊れない』

中村和恵さんの眼の覚める名訳で、カリブ海の「不良小説の古典」を読了する。大きなトリニダード島と小さなトバゴ島のふたつの島からなるトリニダード・トバゴが独立したのは1962年。小説の舞台はそれから数年後の首都ポート・オブ・スペインのスラム街カルバリーヒル(「ゴルゴダの丘」)であり、5年ほどの時間経過を含む。丘の顔役ミス・クレオチルダ、年1回のカーニバルのためにキャラクターのドラゴンを作り踊ることを唯一の生きがいとする30才すぎの独身男オルドリック、ならず者のフィッシュ・アイ、オルドリックが心を寄せるシルヴィア、カリプソ・キングに成りあがるフィロ、彼らクレオール系の住民になかなか受け入れられないインド系のパリアグといった登場人物たちの物語を巧みに織り合わせるラブレイズの語りは生き生きした人物造形と繊細な心理描出をともなって、読者をアンティユ諸島南端の島民の生活世界へと一気に引きずり込む。とくにパリアグ夫婦の物語が切ない。クリスマスにせっかく食べ物と飲み物を準備しても誰も家に来てくれず、商売を始めるために苦労して買った自転車を何者かに破壊される。インド系とクレオール系の緊張関係という小さな島の現実である。それでも負けずにがんばるパリアグが、ある夜、遠くのスティール・バンドの練習を聞きながらつぶやく高揚感に満ちたモノローグが心に迫る。「願わくば・・・おれがフルートかシタールをもって歩いて来たのだったら、まさにスティールバンドが練習している最中のヤードによ、[...]ひとつに溶けてしまう必要はないんだ。おれはおれ自身でありつづけるだろう。それが始まりだ。おれ自身が世界に出ていく、なにか、なにか人にあげるものを手にして。」(p.270-271)。グリッサンの「クレオリザシオン」の詩学が響きわたっている。
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 ある年のカーニバルを境にスラムの浄化、規制強化が始まる。街のチンピラ集団は一掃され、カーニヴァルのマスカレードやスティールバンドは企業スポンサーに取り込まれた文化商品に変質していく。石油を産出する小さな島が資本主義の波に飲み込まれ、「生活レベルの向上」と表裏一体の「生の均一化」にとまどう民衆の様子がこの作品から鮮やかに浮かび上がる。フィッシュ・アイやオルドリックらの警察ジープ乗っ取りという「本当のマスカレード」は民衆の最後の抵抗である。原書は1979年、グリッサンがマルティニクの現状を悲劇的に描いた『マルモール』から4年後である。ラブレイズの筆は、しかし決してユーモアを忘れない。
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フィクションを読むことがひとつの地域、時代、人々の生を知るための、他のディスクールでは不可能な方法であることを実感する。文学の力とはこのように発揮されるのだ。