多和田葉子・高瀬アキパフォーマンス

 早稲田の小野記念講堂にて18時半より。早稲田でのパフォーマンスは今年で4回目という。前から行きたかったんだけど今年ようやく足を運ぶことができた。ふたりのパフォーマンスに接するのは2回目。1回目は2007年の11月、横浜の県民ホールギャラリーだった。その印象は今でも鮮烈に記憶に残っている。
 今回はトーマス・マンの『魔の山』を下敷きにした語りとピアノのパフォーマンス。スイス山中のサナトリウムが舞台の小説、世界から「隔離」されたその空間は3.11後の福島と重なり、かくしてテクストは「フクシマ」へと向かう。原子炉はサメ(危険なもの)に置き換わり、ナカソ・ネタロウが登場する。多和田さんのダジャレが溢れたリズミカルなリーディング。あるときは音楽に接近し、あるときは離れて意味伝達機能をフルに発揮するが、しかしいつでも「声」は文字から離脱して音楽的エネルギーを放ち続ける。高瀬さんのピアノは60%くらいが即興だそうだ。多和田さんのテクストはあらかじめ準備されその場の即興はないそうだが、リーディングの自由さ、テクストの準備段階での即興性はまちがいなくある。横浜のときにも書いたように、音楽と語りは互いの領域を守りながら接近し、離れ、絡み合う。高瀬さんの音楽は今日は意外にクラシカルでシューマンっぽかったり、バッハのような対位法的な即興もあり新鮮だった。お話しのなかで、高瀬さんはトーマス・マンをドイツ語で読んでいた時、テクストの背後に音楽が聞こえてきたのだという。カフカを読んだときは音楽は聞こえてこなかった、という発言がすごく興味深かった。1時間のパフォーマンスに30分ほどのトーク。楽しかったし、文学ならではの原発行政への強い批判的メッセージの発信を受け止めた。